光るボールの話(その3)

8月8日午後7時、4日間続いた中国中央テレビの人気番組「ブランドファイル」の取材最終章です。場所は大連市旅順口藍湾の海水浴場に取材班とルミカ職員100名が集合。全員疲労困ぱいの中「中洲士郎一世一代の猿芝居」が開演しました。

ジンユイ総経理と中洲士郎董事長互いに密かに期するモノを抱えてのテレビ出演でしたのでそりゃもう神経をすり減らしております。「最後はウルトラCで決めよう」ここだけはバッチリ呼吸が合ったジンユイ総経理との間でシナリオが決まったのは昨日の午後のことでした。

工場の広場ではなく藍湾海水浴場にアイパオで舞台を作りルミカ社員達がシャンパンタワーをバックに新開発の光るボール(仮名メガホタル)を夜空に投げ上げて「お祭り好き」を演出するのです。しかもその様子を新開発のBi見逃サーズで上空から収録します。写真をご覧ください。

テレビの向こうの視聴者はルミカを凄い会社だって思うでしょうね。

実は

ジンユイの「使い捨てシャンペンタワー」も

オーノの「アイパオ」も

ヤマテの「光るボール」も

ヒメノの「Bi見逃サーズオズモ」も

全て今日形にしたばかりで未だ生産ラインは出来てないのです。

「注文が殺到したら」って?

新製品なんて直ぐには売れません。金を掛けずにメディアで騒ぎ立てるのです。価格は大量生産の低価格で案内します。注文有ったら暫く手作りしてから製造装置を組み立てましょう。これが中洲流イカサマ商品開発。有ると見せかけて実は何もない舞台の裏側で皆様とビジネスをスタートアップさせましょう。

空騒ぎが終わって陽がすっかり落ちて砂浜の光の残骸を見ているとふと思います。

「さて次はどうすればいいのかな~」って。

光るボールの話(その2)

今日もギラつく太陽の下で街は夏休み真っ盛りです。中洲といえば遊びたい老婆(ラオポ)を避けて遅れた商品開発に腐心しとります。一昨年の今頃長男家族が帰省して山下湖の由布院ゴルフクラブロッジに泊まったのが最後の休暇でした。大人4人幼児2人のささやかな一泊旅行です。現代の若夫婦ってのはどうして子供にあれ程思いやり深いのでしょう。子供はと言えばどいつも当然の顔しており親に遊んで貰った記憶がない中洲にとってはシャクの種です。

それでも「爺ちゃん!」と呼ばれるとついついデレデレです。その日も家族から離れ温泉じゃないヌルい追い炊きの露店風呂に電気を点けずに入っておりました。月のない星空がボンヤリ見えます。折角独りゆっくり浸かっていたら4歳の孫娘がルミカのLEDツリー(クリスマスじゃないのに)とボンヤリ光ったUFOボールを手にしてお風呂に入って来たのです。

ボールを中洲の湯船に投げ入れたので裸じゃない孫娘に話して聞かせました。「なあリオよ。このユーフォーボールはね爺ちゃんが作ったとよ。(社内で誰もそうは言わないし無関心です)。これが売れに売れてね~。リオみたいな子供が皆んなお父さんにねだるので何処も売り切れて大変やった。100万個は売れたかな~」「ひゃくまんこ?」「100万個って分かるとね」「ひゃくまんこやろう」

今日はこのUFOボールの開発のいきさつをお話しして喧嘩が弱いくせに電柱に小便引っ掛けて縄張りを主張するあの頃の痩せ犬みたいに中洲はUFO開発者の栄誉を主張しておきましょう。

時は1981年の始めの頃だったでしょうか。大島東一の難を逃れて飛び込んだのが一桁上を行く曲者、青島功夫の渋谷の巣窟でした。知性の塊のチーコ、イトー姉さんとサクマさんを前にできたてのUFOボールを置いてブリスターパッケージの打ち合わせです。

このボールは埼玉に工場を置くノダロンという会社でこさえて貰いました。バカでかい回転溶封機が工場の宙を回っておりました。釜の中のボールの金型にはEVAペレットが入っており溶かしてヘソなしボールを作るのです。中洲が求めたのはそのペレットを半溶融状態にして穴開きにする事でした。簡単です。直ぐに生産が始まりました。

急いでパッケージをこさえなけりゃいけません。4人雁首そろえて仕様が決定。最後がキャッチフレーズの番でね。さて怪人青島功夫は府中、一高、東大出の超秀才。背丈190cmの偉丈夫それにギリシャ彫刻のような彫りの深い顔。怪人は劇団バロックを旗揚げして詩劇を主宰しており都内のリッチな女子団員に先生先生と呼ばせておりました。超多忙の中、東京理科大学で英文学を教えていましたが後で分かったのはその装いで世間を欺いていたのです。世間知らずで「一見お人好し」の中洲士郎が悪の巣窟に舞い込んできて珍劇が続いていきます。

彼の会社バルジンの大きな社長机に向こう向きに座って、翌日の授業の準備をしながら「聞いとくからキャッチコピーを色々口にしろ」と偉そうにね。チーコさん達3名が色んなキャッチを口にするが先生は音無しの構え。

そこで中洲士郎「日が暮れても」とやると「それだ。続けろ」そこで続けて「パパと遊べるUFOボール」「それだ。それで行く」決まりました。だけどね実は口に出して言わなかったけど中洲士郎には別のフレーズがあって妄想していたのです。

「日が暮れたらパパと遊べるUFOボール」です。こんなストーリーです。(父恋しい)野球好きの少年がいてね。ある時一人の青年が光るUFOボールを少年に手渡しました。「ねえ君。あの橋のたもとの真っ暗の藪にこのボールを投げ込んでみてごらん」少年は言われた通りに力一杯ボールを藪に投げ込む。と・・「よーし。いいぞ、いい球だ」確かに聞き覚えのあるあの声がして光るボールが少年に返って来たのです。暗闇相手にキャッチボールが続きました。

光るボールの話(その1)

今朝のことです。満面の笑顔でヤマテ君が光るボールのサンプルを古賀の本社に持って来ました。発想から2年、ついに完成です。

貴重なサンプルですから社内デビューは朝のテレビ役員会としました。その役員会の席で全役員の眠気を吹っ飛ばしたビデオをご覧に入れます。TVモニターの向こうでエンドー君の「これは売れる~」と悲鳴に似た声。

マジシャンが観衆を前にケミホタルを折り曲げて光らせた幼稚なマジックから40年経ちました。

ガラスアンプルを破割して2液を混合させると言う米国ACC社ローハット博士のアイデアがサイリューム6インチとなって誕生して以来、化学発光は折り曲げて光らせるモノでした。言わばローハット呪縛の50年だったのです。それが2017年12月にトリガー式発光スプレーの開発が成功してから新たな挑戦が始まりました。アンプルを使わない発光体です。

それは市販のポリウレタンボールの内面をトリガーで発光液を注入することから始まりました。

これは2018年6月大連での発見と創造展でデビューしました。ドガワ演じるのは老いた機械屋です。老人は密かに想いを寄せる娘の為に光るボールをこさえます。カナエ演じるそのマッチ売りの少女が会場でマッチじゃなく籠の光るボールを配りました。

だが発光液の注入じゃなくボールに予め2液を装着して何らかの力を加えてボール内で混ぜ合わせなければならない。この要求が出たのはソフトバンクホークスの舞台裏です。

先ず場面を2011年の鷹の祭典に戻しましょう。

ホークス勝利の後、酔いしれた数万もの観衆が振りかざすルミカライトで球場全体がブルーの光る海になりました。

中洲も現場でコムロ達営業開発の連中の苦心が実った一瞬を目にしました。大抵新しい企画は最初はアウトです。この演出を球団に持ちかけたところ観客がスティックを投げると危険だからと言うので不採用になりました。しかしそれをこじ開けたのが孫正義のツルの一声でした。「面白いからやってみようじゃないか」

時が経ちホークスの担当者から伝え聞くと当の孫正義「当たっても痛くない光るボールが欲しい」と。そうなると光っていないボールが子供でも握って指で押すとバーっと光る。球場全体が光るボールで揺れ動き更に・・・観客が一斉にグラウンドの選手たち目掛けて大閃球を投げる。グラウンドは光の海に。

「夢追いびと孫正義の夢を叶えたい」

そして自発光ボールの開発が始まったのが昨年の11月。

「課題はボールを外部からの優しい力で光らせる」「そんなのできる訳がない」精々出来ても2本のアンプルを閉じ込めておいて床に投げつけて光らせる程度だ。それでは商品とならぬと中洲は却下(この案は既に中国競合相手が商品化していた)。だったら競合相手の彼等が方法を見つける前に見つけなきゃ。中洲焦る。試行錯誤の毎日。中洲とヒハラにヤマテも加わり珍案出してはヒサシ達若手が試作試作。どれもダメダメそして諦め。中洲の罵倒。「なにかがある」と模索する。「きっと何かを見落としている」2019年に入って遂に発光の鍵が見つかりました。構想はまとまったものの手作りも難しく形になっておりません。それでも特許出願。だが肝心のボールの成形と発光液のカップが仕上がらないのです。「もう時間がないのだ」中洲連日の叱咤。そして7月、遂にボールとカップの製造が大連ルミカで始まりました。

夢が続きます。舞台は一転して2020年のパリーグ開幕戦。もはや世界最強の球団の一つにに成長したホークスの開幕戦です。始球式で孫正義が硬いボールに仕掛けられた2箇所の柔らかいスイッチを指で挟んで押すと「あ〜ら不思議」大閃光で輝くその大閃球をキャッチャー目掛けて投げます。硬球ボールほど重くないので非力の孫正義でも見事な光る軌道を描いてボールはキャッチャーのミットに収まりました。笑顔の孫正義に観衆が万雷の喝采で応えたのです。

このボールは「当時の日本の社会で一番貧しくそれでいて誰よりも大きな夢を追った少年、孫正義」への高校の先輩中洲士郎からのオマージュです。

それではホークス球場がブルーの大閃球で埋まる日まで何回かに渡って「光るボール」の話をさせて頂きましょう。

アイパオの話(その38)

歳をとると場所と時に関係なく突然睡魔が襲って参るのです。由布院の農園に行くときは途中で必ず目が重くなりPAで一眠り。わずか5分でも眠ると視界がスーッと楽になります。役員会なんかでは他に悟られないようにタブレットを前に芸術的にカミンします。別に歳を取らなくとも誰でも睡魔に襲われるものでしょう。そして一日中でそんな時の仮眠ほど心地よいものはありません。

最近東京の進んだ会社では気持ちよくソファーなどで仮眠取るのを許す会社が出てるそうだ。今日の役員会合でルミカの女性役員から積極的に仮眠を取って頭をスッキリさせて仕事の効率を上げてもらう制度の提案があった。

それで中洲士郎この提案に悪乗りしてアイパオと結びつけてアイパオカミン(愛包仮眠)の開発販売を思い付きました。

仕様は

4.4㎡のカプセル仮眠室。完全断熱防音で空調機付き。解説ビデオ見ながら社員数名で 1日で組み上がる。

使い方の例

ポケットプロジェクターで真っ白の天井に夜空の星が或いは清らかな水中を魚がそして何処からともなく微かにBGMが流れる。タイマーが効いて20分すると振動が起床を知らせる。これも真っ白の床にマットレスが3枚。両サイドに棚があって各自名入りの枕。利用者の公平を期する為にカンパ箱があってカミン毎に100円を投入して社員パーティのカンパに。

セールストーク

仮眠での士気高揚だけでなく自然や交通災害の備えとして、社内厚生キャンピングに、オフィスの宿泊設備としても使えます。

価格と数量

その性能効能にしてワンパオ僅か17万円(1万元)。開発元のルミカは数年以内に世界で年間10万棟の販売を予定(なんとルミカの現在の年商の4倍)。

これがアイパオカミンの骨組みです。4.4㎡天井高2mこれに床や外装を張って皆さんと一緒に夢の空間を完成させましょう。

アイパオの話(その35)

読者の皆様には何時も下らない年寄りの繰り言にお付き合いいただき本当にありがとうございます。老婆(ラオポ)がうるさいので書くのを止そうと思うのですが毎日毎日面白い事が起こり作文が下手でも記録に残さなきゃと頑張っております。今日も是非最後までお付き合い下さい。

歳を取ると先が読めるのです。それも自分でもウットリするくらいにね。所がその先の先が読めずに例によって落とし穴に落ち込む話です。

もう5年も続く新製品開発の毎日も遂にゴール目前だと仲間たちにハッパをかけております。そのゴールのテープは6月26日から3日間北京国際防災展が開催される北京国際展示場のブースに掛かります。アイパオ、アイロッド、Bi見逃サーズ、サイリュームスプレーなど5年間の力作の出展です。老胡(ラオホ)はじめ大連ルミカの仲間たちは可哀想にトラックに資材を満載して14時間かけての北京入り、そして「未完成のアイパオ」の設置の2日間でした。中洲ときた日には21日の福岡大連の飛行機の予約が間違ったので搭乗出来ませんでした。それで24日急遽韓国に飛んで廃業した同業会社の社長と事業の引き受けの話し合いをして北京に入ったのが25日の夜。疲れ果てた仲間たちに謝るだけです。

こんなに綺麗なブースをこさえてくれました。アイロッド、アイパオ、防災グッズです。

さあ26日の朝です。会場でアイパオの勇姿を目の当たりにして檄を飛ばしました。そもそも防災防犯など事業としては一番難しい。そんな面白くもない展示会を覗く一般客なんかいやしない。その防災展に出展したのは100%中洲の選択ミスであります。だが明日を予想できないのが世の常。それで「何かが起こる。何かがアイパオに食らいつく。だから1件の大商談をまとめよう。隊長は慕(ムー)君。頑張ろう」で始まりました。

開場前に金魚総経理と展示場を見て回りますと獲物が続々います。中国VBにとって空中ドローンの次の狙い目は水中ドローン、しかし二匹目のドジョウが難しい。映像電波が通らない水中では発想変えなきゃいけないのに皆アタマが悪いようです。

救命用ラジコンボートを見つけました。以下のURLで映像をご覧ください。

このボートに我がBi見逃サーズ50mを取り付けてラジコンで「防水オズモポケット」を水中に上下させるのです。操作はネット経由で手元のスマホで行います。この会社に共同開発を持ちかけると勿論乗って来ました。救命用ボートだけなら売り上げは知れているからです。

どの会社も必死で新製品開発に取り組んでいます。水陸両用車もあってキャンパオと結べば面白い水上生活空間が出来そうです。

開演になり我がブースに戻りますが心配した通り客が少ない。金魚と相談。貴重な時間を無駄には出来ない。それで翌日の27日姫野さんと3人で連云港に飛んでルミカ東海の後始末に出かけることにしてホテルと飛行機を全て変更したのです。ところがブースに戻ると中国中央テレビの女性社員が待ち構えていました。「ルミカの社長がいるなら是非取材したい。それも明後日12時半に北京国際飯店のホールで」と。そこで金魚さんに「そういうことです。大物が掛かったのです。再度予定を変更しましょう」得意満面の中洲士郎、26日9時半からの防災展会場でのアイパオ取材を決定しました。そして再度変更した連云港からの北京着は26日午前2時、強行軍が待っておるのです。

26日朝、1時間の録画取りが終わりそれが中国全土に流されるとルミカのアイパオは世界の注目の的になるはずです。筈でした。

由布農園の昼下がり

最近はとみに高齢者の運転事故が問題ですね。ウッカリミスが殆どで中洲も毎日身に沁みております。昨日も大きな旅行カバン抱えての大連行きで・・・チェックインしようとしたら予約した搭乗日が間違ってて乗れませんでした。馬鹿さ加減にドッと疲れが出ます。

しかし「これ幸い」と大連でのアイパオ戦闘はオーノ、イワモト、ヒメノに託して今日は朝早く会社でサクラマス達の世話をして由布農園に駆けつけました。

ヤッパリ休日は農園に限ります。アスキーに起こされて淡竹(ハチク)の筍狩です。愛車アウトランダーの中で冷房かけてウトウトと幸せなお昼寝に浸り切っていたところでした。

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新澤さんがヒロコさんの為に里芋植えてます。

しつけの悪いアスキーの鶏たちが直ぐに畑の畝を壊します。可哀想なニイザワさん仕方なく網を張ってました。

それでアスキーがパンで彼らを呼び寄せて連れ帰りました。

田んぼではニイザワ小屋で育った合鴨の雛が今年も健気に水を掻いております。

新築中の中洲別荘。由布岳を背景に現れる勇姿と共に中洲のヘソクリはどんどん減ってしかも支配権は中洲の手から離れようとしているのです。

帰路、お魚用の200Lの水を揺らしながら大分道を走って夕飯に急ぎました。

チェリービールの話(その12)

市場調査のお話です。

長い大連出張からやっと日本に戻りました。会社というのは業績悪くて必死の時に気付かないのが「社内の厭世ムード」です。それが業績好調になると若い者は目的失調にでもなるのか鬱に囚われるようですね。

開発小屋でくつろぐ暇もなく管理本部長から「大変です!」と泣きつかれたのです。やれやれですね。しかし(これはいい口実になる)と思い直し「よ~しこんな時は飲みに行かなくっちゃ」とばかり問題のA君を連れて古賀からバスに乗って中洲に繰り出す事にしました。

中洲村も久しぶりです。バスを降りて日銀の裏手にある喫茶兼スタンドバーをふと思い出し、ちょっと顔を出す事に。そこのママは中洲若子の仲良しだったのでそのお礼で若子の死後時々飲みに行くようになりました。ほんの暫くのご無沙汰だと思っていました。今日の相棒のA君と静かに止まり木で冷えた生ビールで喉を潤して退散する心算が・・。「士郎さん、6年も来とらんよ。この子知らんやろう。もう5歳だ」ぽっちゃり丸顔のママが違う相手に本気で怒ってるようでした。抱いているのは可愛い娘でね。「あのう。僕の子じゃないよねえ」それで大爆笑。見知りの偉い先生(多分ママの追っかけ)も入ってきて店は大賑わいになりました。思えばズ~っと開発暮らしだったのです。

時間がないので傍の(管理部で頼りとする)A君を引っ張って隠れ居酒屋の「地球屋」と中洲村で一軒しか知らない「飲み屋N」を回って家にたどり着いたのは真夜中。長い出張でした。

翌朝「帰ってすぐに何処を飲み歩いとるんや」の老婆(ラオポ)に「開発や開発!」

実際綺麗な女性たちを前に中洲節で大騒ぎしてしまいました。年に一度も行かんのにそこも常連の振る舞いでねえ。(嫌ですねえ。静かに飲めばいいものを)しかし飲み屋で女性を喜ばせる極意はですねえ。大抵「実は今・・極秘のミッション中でね」と、懐から開発品を取り出して披露するのです。な~んだ思い出しました。いつも「ドラえもん」やってるわけです。

今回テーブルで披露するのは大連で誕生したばかりのルビー色に輝く「ルミコチェリーソース」(左手)とこれを使った極限のカクテル。この色をご覧あれ。「信じられない美味しさだわ!!」綺麗なホステスさんに気を良くしたが心配した通り帰りの勘定は高くてねえ。当分遊べません。

チェリービールの話(その11)

今日もセレンディピティ(予期せぬ幸運)です。

大連でのチェリーソースの開発も4日目で仲間たちに疲労感が出ております。その中で若いバンちゃんの甲斐甲斐しい動きは再放送中の「おしん」のようでした。

テーブルに並ぶサンプルの一つが中洲の目にとまりました。淡いピンクの液の表面が少し盛り上がっているのです。閃くものがあって少し傾けるとプリンとしております。ゲル化していたのです。

それは昨日張先生のチェリー農園で見つけた2本の名もないチェリーの搾汁でした。未だ脱水もしてないのにゲル化してます。金魚さんが「コラーゲンよ。日本女性の大好きな」って声を上げます。日本の消費者が愛でるコラーゲンは殆ど牛の骨から採った動物コラーゲンでしょう。これはもしかしたらチェリーから採った純粋の植物コラーゲン即ちチェリーセラミドかも知れません。実際バンちゃんと金魚さんの手の甲で薄っすらと光って皮膜をこさえています。

更にこのロータリーエバポレーターで2時間も脱水すれば天然のままで保存可能かも知れません。

「H子さんに捧ぐコラーゲンルミコ」なんて妄想を膨らませております。

1人の見目麗しい理系女が知り合いの会社に就職しました。研究職希望だったのに営業に廻され会社を辞めて大学の研究室に戻りました。そこで紹介された地元のVBを助けてリンゴ絞り滓からリンゴセラミド抽出の事業化に手を染めたのです。ベンチャー起業家の端くれ中洲はその事業に終始反対でした。物作りでは人と同じく原料の氏素性がしっかりしてないと大抵失敗するのです。ましてや絞り滓なんて養殖の餌に混ぜる位がオチです。結局3年間の艱難辛苦の挙句リンゴセラミドの事業化を諦め次に粉末冶金の研究室に入りました。その会社とは少しだけど縁があって(一応これが中洲の専攻でしたから)期待に違わず大きく輝いているのを知りました。惜しまれ泣かれて今春その下関の会社を寿退社したのです。だが果たせなかった夢、女性の肌を美しく輝かせるセラミド事業には依然思い入れが強いのです。

今回のチェリー化粧品開発は彼女に代わってのリベンジでもありました。動物には同じ品種ですら大きな個体差があるように植物でも品種によっては味と見かけが悪くても凄いパワーが秘められている。そんな事をワイン造りで耳にします。だったらチェリーで皆さんと一緒に隠れ品種を発掘してチェリーに新たな物語を仕込もうと言うわけです。

誰かさんの様な裏道交配と同じくチェリーにもハグレ交配での突然変異を期待するのです。大きくて美しく甘い新品種じゃなく農場主を裏切って見捨てられたチェリーです。それを偶々中洲チームが加工したら信じられない凄いパワーのコラーゲンルミコが生まれたという開発物語です。

化学物質ゼロだから皮膚に優しいのは間違いない。ウチの老婆(ラオポ)は化粧品アレルギーだから化粧代が掛かりません。このコラーゲンルミコは老婆(ラオポ)にうってつけかも知れんので帰国したら彼女にタダで実験を頼もうと思います。

チェリービールの話(その10)

チンユイ社長に頼んで大連ルミカにロータリーエバポレーターを設置して貰いました。これで思う存分実験ができます。空気漏れでヤマテ君は手直しで大変でしたが昨日から大活躍、何しろ安い、日本製の5分の一です。

昨日まででチェリーに残留農薬の心配はなくなりました。市場に出されるメジャーのチェリー・紅灯(ホントン)は色見でアウトです。だから自分たちでチェリーを探す他ありません。

それで今日は生い茂るチェリー農園に入って食べ歩きを楽しむ事にしたのです。この時期は大抵が紅灯(ホントン)という甘くて大きくて色見が濃いい市場で一番人気の品種です。加工するには色が濃いすぎるからアウトにしました。しかし70%くらいの成熟度なら一応テストする事にして仲間5人に収穫を頼み中洲一人園内をうろつく事にしたのです。

完熟前の紅灯。流石にチェリーの女王です。

しかしヤッパリあのチェリーが気になったのです。それは小粒で大層な鈴なりで赤見が強い厚い皮、しかも直ぐには外れないほどヘタが強いのです。要するに生命力がメチャ凄い品種、但し味は酸っぱいだけでした。見捨てられておりました。

日本の佐藤錦から何代も交配を重ねたのでしょう。小さくて食べる人などいやしない。見事な房なりだが朽ちるだけの定め。その内邪魔だと切り倒される運命です。張先生に名前を伺っても邪険に「知らん、名前などない」じゃあ皆んなで名前を付けることに。即衆議一決、品種名は「ルミコ」となりました。

中洲若子の話(余話その2)

ネットの検索エンジンってどんな仕組みなんでしょう。何でも調べ出せるが消されて行く情報も有るのですね。

母親の中洲若子の命の炎が細くなってしまってから彼女の奉公先が「いっぽうてい」であることを知りこれを手掛かりに中洲士郎のルーツ探しが始まりました。これを「中洲若子の話」として兎に角書き終えて中洲若子を弔ったのです。

最近は「一方亭」も検索にも掛からなくなってきました。一方亭のドラマが書に残らず歴史から消え去るのは寂しい限りです。

6月6日夜の事です。翌日からのチェリービールに添加するチェリーソース開発で大連にやって来たイケダ君と旅順の藍湾の賃貸マンションで飲んでおりました。夜も更けて取り留めない話がブログの「一方亭」に及んだのです。

8年前入社したばかりのフジイ君とイイダ君を連れて居酒屋「一方亭しょうき屋」の暖簾をくぐったのが探索の始まりでした。そのフジイ君が検索を続けたら遼東半島で日本建築の史跡を訪ね歩く粋人の写真ブログに「大連の一方亭」が収まっていたそうです。説明によると旅順の老虎灘の切り立った断崖の上に本家の一方亭を模して高級料亭が建てられたのは1932年、遼東半島が日本の租借時代だった頃です。本家の一方亭は戦後進駐軍に徴収された後焼失したのでその姿が僅かの写真に伝わるだけでした。なのにその雄姿が此処大連に残っているというのです。

イケダ君とバンちゃんが折角大連まで応援に来てくれたので張先生農園で仕事を終えて今日は2人に何かご馳走しなきゃと街に繰り出しました。最近大連空港前の通りにも万達集団が洒落たレストラン街を作りました。一画に大きな「龍虾館」が目に留まります。ロブスターを漢字表記したらそうなるのでしょうか。豪華な店内に客の姿は有りませんでした。メニューを開くとロブスター一皿270元(4000円)。まあいいかとオーダーしました。甘辛い味付けで傍の若いバンちゃん辛さに悲鳴あげながら元気にパクつきました。さてお勘定。なんと1050元(18000円)です。3斤半(サンチンバン)だと言ってます。そうかメニューの価格は1斤(500g)当たりだったのですね。金持ちに見えない客の懐を心配して、それで大きな生きエビをテーブルに見せに来たわけか。

中洲は気に掛けないフリをして銀レイカードで支払いましたがエラく高い食事、20年間の中国出張で一番高い食事に「ガクッ」です。

これが一皿15000円の料理です。

懐は厳しくなりましたが美味い食事にすこぶる気分良く、オリンピック広場のウオールマートで買い物を済ませて、ふと・・タクシーの運転手に老虎灘の一方亭跡に連れて行って貰う気になったのです。

80年以上の風雪に耐えた未だに勇壮な姿に当時の栄華が偲ばれます。一体日本の誰が此処に一方亭を建てたのでしょう。当時の一方亭の女将の高橋朝子はこの建築に関わったのでしょうか。もう少し一方亭探索は続くようです。