浪人も又楽し

大連から福岡へ戻る機内。
年の瀬いろいろ用事が多い中、由布農園と仲間たちのことが気がかり。

この前の木村琢磨さんの個展での彼の生き方に敬服した。
アーティストってああなんだなと。
繊細で濃厚な風景画の様な作風の写真家の木村氏にファンが多い。
その日も最前席にグラマラスな美女が
きゃしゃな木村氏を食べてしまいそうなほど凝視していた。

「来年一月からボク今の会社辞めてフリーになります」と木村氏。
会社やスポンサーや諸々の繋がりを切って
作品を極めて行きたいそうだ。
浪人するのに何の屈託も見えない。
現代人だなあ。それに芸術家だ。

それにひきかえ中洲士郎の生き様は内心怯えて汲々の人生だった。
子供3人の5人家族それに何かと危険な母親若子だろう。
心底ヤバイと思ったね。

ただ一つ木村さんにも質問したかったのは
「フリーになられたら作風にどんな変化が現れるでしょうか。
興味あります」と。

そこで今日は生き方に自信がない老兵が浪人について語ろう。

中洲の浅薄な経験では
浪人すると目に入る景色、
特に山野の移ろい行く風情が激しく心に迫るのだ。
早春。梅、桜、桃、梨と木々の華やぎが変化して行き
山の緑が徐々に躍動して行く姿は
サラリーマンの時は気付かなかった。
楽に給料が降って来なくなったからだろうか。

そこでまた「葉隠」の一節思い出したので引用させて貰う。

何某(なにがし)申し候は、
「浪人などと云ふは、難儀千万この上なき様に皆人思ふて、
その期(ご)には殊の外しほがれ草臥(くたぶ)るる事なり。
浪人して後は左程(さほど)にはなきものなり。
前方(まえかた)思ふたるとは違ふなり。今一度浪人したし。」と云ふ。
尤もの事なり。死の道も、平生(へいぜい)死習ふては、
心安く死ぬべき事なり。
災難は前方了簡(まえかたりょうけん)したる程にはなきものなるを、
先を量って苦しむは愚かなる事なり。
奉公人の打ち留めは浪人切腹に極まりたると、
兼(かね)て覚悟すべきなり。

案ずるよりうむがやすしって云う事らしい。
心配してノイローゼになったり落ち込んでも何もならん。
そのうち何とかなるよって事か。

だが中洲士郎生まれ変わったら絶対独立なんかしないよ。
今度は確実に失敗するから。

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