ケミホタルの話(その11)

12月久留米の大島商会の大島社長と称するものが「自分も小型化学発光体のアイデアを持っていた。釣り向けに独占販売したい」と申し出ましたが余りに小規模で(つまり社長一人の会社)断わりました。

ところが大島は栗本を口説いてまんまと独占販売の約束を取り付けていたのです。多分11月の栗本の新聞発表を誰かから知らされて栗本に接触していたのでしょう。500万円が栗本の手に渡りました。

翌1979年1月士郎の一方の素寒貧仲間藤本の自宅がある遠賀川に作業用アパートを借りることになります。月額20000円の家賃は栗本から出ます。

ブルーシートを敷き詰めた畳の上には中洲等の手製の装置を、押入れの2階は土海が会社から持ってくる分析装置を並べます。

押入れの一階は士郎の寝室です。中洲士郎、赤ひょうたんは喧嘩して飛び出しているのでここしか行く所がありません。

共同事業と言っても栗本、土海、福井にはそれぞれ職場があって報酬を得ていますが士郎と藤本は無給です。藤本は自宅がそばで独身、弁理士事務所のアルバイトでもせいぜい5万円しか稼いでいませんでした。

しっかり稼いで5人家族を養っていた士郎、無給でこの工場に独り寝泊まりすると共同事業が割に合わないし行く手に不安が募ってまいります。(こりゃヤバイという思いで)とにかく試作品作りに精を出しました。

原料がないから仕方なくサイリューム6インチをバラして原液を取り出します。植木鋏で切り出したチューブから発光液のA液(蛍光液)そして中のアンプルからはB液(酸化液)を取り出し液を検査してB液は有田に送りアンプルに加工してもらいます。

次に届いた酸化液入りのアンプルを使ってケミホタルを作り検査して包装するのです。

ここで金を握った栗本の謀略が見えて来ます。アンプルは有田で会社の研究者グループ3人に作らせスティックは士郎が命名した日本化学発光に作らせて製品は大島商会に独占販売をさせる。

自分たちは安全に元の会社に居ずわるという算段です。日本化学発光の経理は自分が奉職するF社の経理課長に給料出して任せています。まあ何という奇妙な構図でしょう。遊興三昧の栗本によって会社の出金伝票がドンドン切られます。栗本の懐にある会社の金は減って行くばかり。この会社は一体誰が責任取るのでしょう。

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