大島東市の話(その2)

 崔朝栄と言う男がいました。士郎の幼友達で独りぼっちの士郎にとっての憧れでした。

母親は日本人、父親は韓国人です。博多港の縁、須崎という街のいわゆる朝鮮人部落に住んでいました。家は廃品回収業だったようです。お互い行き来して彼の母親には何度か会いました。優しい人で粗末な身なりに真っ黒に日焼けしたお母さんだったと記憶しています。

あの時代玄界灘を自ら渡って、或は日本の憲兵に拉致されて来た朝鮮人の若者に日本人の娘が嫁いで暗く重い物語を紡いでいます。大部分の在日は差別と貧困に打ちひしがれ、宿命を背負った2世の子供達もやはり苦難を強いられて差別の世を渡って行きました。孫正義さんもそんな絶望的な環境で不屈の精神を養ったのでしょう。

あの当時着物姿の艶やかな若子は際立っております。大名小学校では男の教師達、父兄たちの若子を追う目、そして同窓生から「綺麗なお母さん」との羨望の声を耳にする度に士郎気恥ずかしい思いをしました。

そして崔朝栄の母親を見ると何故か「いいなあ。自分のおっ母んもこうあって欲しい」と思うのでした。何しろ若子はその時28歳の年頃、おまけに花街で男を手玉に取る修練を積んでおりましたので男の気を引くのが女の勤めと心得ております。逆に士郎は若子に近寄る男たち、若子に取り入ろうと士郎に目をかける先生が堪らなく嫌でした。

子供というのはとても敏感なのです。

そんな境遇にあって崔朝栄は素晴らしい作品でした。良い男を測る物差しが学歴や経済力だけじゃ面白くないじゃありませんか。(それは同じ境遇から彫り出された傑作孫正義と対極を成すものであるような気がするのです) 

混血の具合が良かったのか崔はとに角逞しい身体で、小学生の時でもすでに士郎より顔一つ背が高く士郎がぶつかってもビクともしません。大きな頭、広い額、張り出した頬に二重の大きな目が優しく見開き厚い赤い唇で口は裂けるように大きかった記憶があります。鼻も高くはないが広く十分に釣り合いが取れていました。逞しい身体それでいて何時も笑顔絶やしません。

同級生には誰一人手を出しませんでしたが上級生であっても他所の学校の生徒にやられたと聞くと必ず仕返しに走り込み、それもひどい仕返しをして相手校に恐れられました。

頭は確かに良かった。小学校3年の時でしたか全校で知能テストがあってIQが異常に高かったのでしょう。教育庁から3、4人の試験官が寄越されて崔朝栄にだけ2度ほどIQの再確認テストが行われました。学校のテストでは目立つような成績ではありません。周りの生徒は余り気付いていないが士郎は崔朝栄はテストで手を抜いていると確信していました。士郎は崔朝栄をいつも観察していたのです。

小学校4年で担任がそれまでの優しい女性の永島先生から花田先生に代わります。授業初日「昼休みは45分だ」の声にこれまでの調子でついつい「チェッ」と漏らした士郎の声を聞きつけると直ぐに士郎を教壇に呼び出しいきなり平手打ちの洗礼です。

生まれて始めて大人の赤い大きな手が顔に迫りくるという恐怖におののいていたら崔の奴、今度は昼休みに入って軽く「セシボン・・」と流行りの洋画の唄を口ずさんでこれも呼びつけられ吹っ飛ぶほど強くぶたれました。

教室の隅で士郎と崔朝栄の二人、この恐ろしい花田先生との出会いを嘆き赤く腫れた頬を押さえて震えました。

崔は舞鶴中学から高校は修猷館に苦もなく合格しましたが色んな暴力沙汰があり中退してしまったようです。その後地元の新聞を賑わし何度か刑務所にも入りました。何時も相手は、ヤクザだったので刑務官から「お帰り」と仲間内にされる受刑者だったと聞きます。

   

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