中洲若子の話(その1)

中州若子の遺伝子が災いして中々枯れた好々爺に近付けない生臭爺いの中洲士郎でございます。幾人かの読者にこのブログを読み続けて頂いており心底恐縮しておりますが。老婆(ラオポ)にも遂に見つかるところとなり「あんなブログおぬし狂ったか?恥ずかしくって団地歩けやしない」「あんなブログとは失礼な。団地でルミカのブログなんか開く人いやしない」双方応酬の中ブログ存続が怪しい空気です。

素寒貧の男が渡米しスーパー企業のACCの懐に飛び込むまでのイカサマ行脚は綴り終えました。ここらで小休止して今度は読者の皆さんと未来への企みを始めましょう。「中州若子の話」で用心深くこの母親をブログに蘇らせるのです。そうする事で父親辰野亥蔵も蘇り必ず何かが起こります。数少ない読者と一緒にスリリングな旅を始めましょう。先ずは「弱法師」の話から。

某月某日

前夜は酩酊してホテルのベッドに倒れこみそのまま爆睡です。

大阪支店では皆さんと1人づつの個人面談しました。1年以上の交換日報でオンライン上は大変親密、それでオフ会と称してお喋りを楽しんだのが個人面談の真相です。若い連中が、中でも妙齢の娘たちが話し相手してくれると気分がナマめいてまいります。結末は「今期も宜しく頼む」の慣用句です。

支店を少し早めに出立して四天王寺散策にしけ込みました。引率の支店長のエンドーさんが「支店近くのこの寺に何用?」といぶかしがります。

この寺の西門の先に石鳥居がありここからの夕陽の眺めは日想観と言って極楽浄土が拝めると古来信仰の場でした。

能に弱法師(よろぼし)がございます。父の道俊に捨てられ放浪し盲となってここ四天王寺で物乞いする俊徳丸が父親とここで再会する物語です。盲ながら心に刻んだ石鳥居からの風景を「さて難波の海の住吉の松原、東の方は春の緑の草香山」と謳う俊徳丸。「これより更には狂わじ」もうこれ以上は狂いたくないと呟いて道俊を避ける痛ましい青年の姿とこれを見て父親の喜びが当惑に変じる舞台が演じられます。

その石鳥居から眺める現実の風景は無数の小汚い建物に覆い尽くされております。かってすぐそこまで緑の松の海辺だった事を誰が想起できましょうか。年老いた父辰野亥蔵が亡くなる前に遠く九州まで捨てた母子に逢いに来ていたのを知りました。その辰野亥蔵と道俊、俊徳丸と我が身をダブらせてしばし感傷に浸る中洲士郎だったのです。とだけ書けば相当わざとらしく鼻摘まみもんです。

これもその真相は?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください