中洲若子の話(その3)

中洲士郎、生を受けてこれまで幾度となく危機に直面しております。

その最初はと言うと全ての生物に共通する受精の危機です。日本人の場合正規の婚姻であれば嫡出子、非正規であれば非嫡出子としてブランディングします。人間誰だって4~5億の精子の競争から選ばれて得た生命に何の焼印もないのにある日突然「お前は非嫡出子だ」と宣告されたりしましてね。嫡出子達だってビックリするでしょう。知らない間に異母兄弟がいたなんて。これって本来面白いことじゃないでしょうか。

ケミホタルには有田と強い御縁がありました。そして有田焼の思い出には必ずあの男辰野亥蔵が登場します。

香蘭社と深川製磁が有田では窯業の両雄で共に博多川端に立派な店を出しております。その深川にはよく遊びに参りました。辰野亥蔵がまだ存命ならば 90 歳だろうかと思って深川の店でお祝いに古伊万里の飯碗を探してもらったのです。1989 年のこと。

会社興こして 10 年経ち「そろそろかな」と思ったのですが例の妖精が「未だ未だ」と答えた気がして祝いの飯碗は士郎とタエの文化住宅の押入れに入ったままでした。

それが1997年の暮れのこと恩師植田教授の叙勲の祝いの席で父辰野亥蔵の他界を知ったわけでした。

<遂にくるべきときがきた>僕の人生の第 1 幕が終わったという感じがしての家路は悲しくはなく何かつかえが取れたとでもいうような気分でした。思えば物心ついて何時も何時も親父のことを想い続けていたわけですから。

 帰宅して居間の炬燵に入り、ふと思い出して中洲タエに頼んでかの桐箱を探し出してもらったのです。牡丹紋絵錦古伊万里の錆びた赤絵の飯碗で遂に親父に贈られることがなかった祝いの品です。

中洲タエにはその日の出来事を説明するのに言葉が見つからずにいますと、  「そうですかお亡くなりになりましたか」そう言うなり再びもとの桐箱に納め押し入れに運びました。

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