アイパオの話(その9)

4月4日の記録です。東北震災救援で小生意気なミキに遅れをとって気が焦っておりました。アイパオが形にならず未だ救援トラックは出発できません。ここ福岡のホームセンターでさえ復興資材機具の類いが姿を消してアイパオのセッティングに難儀しているのです。

そんなモヤモヤの中、このところの花冷えが凍えた今冬を思い出させます。桜は五分咲き。そして直に爛漫の春がやって来るのです。

そんな時節にあの男北川安洋が逝ってしまいました。4月2日に亡くなり4日はお通夜です。79歳でした。春の宵のこぶしの花の手招きに誘われて旅立ってしまったのです。この世からまた一人いい男がいなくなりました。

一代で世界的な疑似餌(ルアー)メーカー・ヨーヅリを立ち上げた北川安洋には老弱男女を問わず彼を知る人は皆ファンになります。会社が不振で解雇になった連中さえも彼を慕いました。特に女性、中でも水商売の人なら一目で惚れ込んでしまいます。風貌は<7人の侍>の志村喬を彷彿とさせ若い時、空手や陸上競技で鍛えた逞しい身体に大きな口と人懐っこいギョロ目、魚ならアラの大物です。

「男がいい男を論ずるのはお止め。それは女の仕事よ、そして私のね」とは向田邦子の言葉でした。だが中洲もいい男を論じたいです。無骨で笑いが爽やかで口数少なく日本酒をいっ時も手放せない男です。

それでいて突然「士郎さんよ、わしは最近好きなおなごとでも続けて2度はやれなくなった。衰えたもんだ」と呟いたりするのです。一瞬周りに身内が居ないかと心配しました。まるで小学生が小便を遠く飛ばせるのを自慢するような調子でした。あっけらかんとした色恋なんでしょうね。多分彼を惚れた沢山の女性達は「焼きもち」とか「恨み節」など抱かないのでしょう。ほんのひと時でも一緒に居てくれさすればいいと。

あの開高健にして西に男あり北川安洋と言わしめました。かの越国の美女西施のひそみに倣い彼の飲み方を真似するも中洲では到底様になりません。それでもあんな雰囲気の男になりたいものです。

亡くなって2年が過ぎて生きておられれば80歳の誕生日の2013年暮に登美子夫人から冊子が送られてきました。題は「洋々と行く」。安洋の半生が綴られております。彼を愛して止まなかった人たちが思い出を書き残しました。中洲のようにブログを書かなかった北川安洋の茫洋たる人生を語り継いで貰いたいもの。そんな冊子があること知っておいて下さい。そのうち機会があって登美子夫人の許しが出たらこのブログに冊子のPDFを貼り付けますね。

不思議ですねえ。色んな人物と母親の中洲若子とに接点が生じます。

「佐賀の武雄にいいお客様がいてそれはいい男。奥様も小粋な綺麗な人でねえ」中洲若子の夢を壊しちゃいかんので「その人はワシの友達だ」とは言わずにいますと「あ~あ。ひと時でいいからあんな男の妻として世話焼きたかったなあ」己の不憫をいたわるような口調でした。

然し商品開発だけは簡単には彼に勝ちを譲れません。彼は物作りにこだわりました。そしてモノとは矢張り実際に存在するものから派生しております。中洲士郎はこれからずっと皆さんと蛍の夢に誘われて珍奇な発見と妄想に溺れて参ります。但しそれは未だ誰も見たことがない代物なのです。既にあるものはいくら手を加えても商売になりません。それが中洲の持論です。商品開発も北川安洋と違うやり方をしましょう。女性にモテるのは諦めて。

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