中洲若子の話(その8)

母親若子の命日に少し人の出生について思いました。人がこの世に不幸をまとって生まれて来ることについてです。4歳の頃母親が芸妓に働きに出て預けられた祖母の家での生活を思い出します。家の裏手からはいつもアイゴー!アイゴー!という悲痛な泣き声が絶えることがありませんでした。そしてそこは「朝鮮人部落だ」との大人達の説明。更に祖母は「朝鮮人部落」よりももっと酷い世界がある。この吉塚のドブ川の向こうの果てに部落があってエタヒニンが住んでいると。それに比べれば今の自分達の世界は天国みたいな物だと教えるのです。

 娘を置屋に売り飛ばすのって不幸のうちじゃないと祖母は自分に言い聞かせていたのでしょうか。娘の稼ぎに10人の生活を依存してもその娘の息子士郎にはダゴ汁が笑顔で届くことはありません。そんな時でも自分の家の先に部落があって「恐ろしい人たち」が住んでいるとの怯えが空腹に勝るのです。

博多の那珂川のほとりに清川町というところがあって昔花街として栄えました。専ら女郎として売られた貧しい子女達を相手の売春宿が軒を並べ今でもその名残があります。どなたの意図かロータリーの真ん中に丸い石組みが残されております。人呼んで女郎井戸。これは身ごもったり病に侵されたり世をはかなんだ少女達が身投げをした井戸だと。

ジェンダーが本当に悲惨なのは自分達よりもっと酷い世界があることでいくばくか安堵し、少しでも上級の性差別の社会に入りたいと願うことかも知れません。中洲若子も自分は女郎じゃない芸妓なんだと自分を慰めそれでも己の身分を蔑みながらせめて京都の舞妓に憧れたのでしょう。

こんな若子の写真を誰が撮ったのでしょう。

人の世の幸せも不幸も相対的なものであるようです。しかし絶対的な不幸にも出会います。

東北大震災救援でいくつか悲しい話に出くわしました。その一つが2011年5月福島県の大槌町でアイパオを組み立てていた時の事です。中洲の側に若いご婦人が寄ってきて呟くように

「この前の津波で5歳の息子を亡くしました。津波が迫っているというので皆んなで商店街を走って逃げておりました。ところが息子がねえ・・。カブト虫の幼虫を家に取りに戻ってそのまま津波にさらわれてしまったのですよ」と。

その坊やの年頃、中洲もヤゴ(トンボの幼虫)を飼っていてそりゃ大切にしておりました。やはりその子と同じく家にヤゴを救いに取りに帰えるだろうなと思います。瓶の中で汚い草にしがみ付いて生きているゴミのようなヤゴでした。

非常時の中で大人は決してあの小さな暖かい子供の手を握りしめて離してはいけませんね。老いた若子の手をもっとしっかり握りしめてやりたかったと命日に思います。

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