裸のウイルス(その12)

今年の新入社員5名は約2ヶ月もの間コロナウイルスの為に自宅待機。意気揚々と社会に飛び出した筈のその第一歩でのつまずき。全くひどい話です。ウイルスと戦争しているのに戦わずに逃げて籠城しろとの指令に何のケレンもないのです。これからも新たなウイルスが次々と人類を襲います。古来戦争は文官や女性の仕事ではありませんでした。戦略家が要ります。

この矛盾だらけの現実を目にするとエリートの道から逸れて社会に出たが故にアガきウメいた1人の男の経験を誰かに聞いて欲しくなったのです。人生で一番不名誉で誇りを失い封印していたはずの社会人最初の10年間。そしてその暗闇に一縷の光を刺したのがあの男と彼の銀色に輝くアタッシュケースでした。

それが50年もの年月を経て瞼によみがえって参りました。そうだ。可愛い5羽のヒナ達にこの話をしてやろう。コロナによって時代は音を立てて変わろうとしている。実経験のないエリート、培養された教科書人間では生きて行けなくなる時代へと。

中洲が初めて奉職した小さな会社の仕入れ先の一つが旭硝子。そこは超学歴会社で東大卒がゴロゴロ、九大卒位では出世は難しいと噂される会社でした。中洲のF社はセラミック専門商社で旭硝子の耐火物部門の小さな代理店でした。

入社して時を同じく旭硝子がフランスから技術導入したアルミナセメントの生産が北九州の牧山工場で始まったのです。本来は耐火用セメントでしたがフランスでは超速硬性を生かした緊急土木工事向けに活躍しておりました。土木が苦手な旭硝子のエリート達、このセメントの土木向け販売を代理店に丸投げし中洲のF社も面倒だから新入社員の中洲達2人にこれも丸投げ。「セラミックじゃなく土木工事かよ~」でした。だが中洲は退社後商工会議所に出向き緊急土木工事の目ぼしい情報をピックアップ。翌朝自分だけ模範ぶるのも嫌だから同期の相棒Y君に資料見せたら資本の大きな会社のリストを「有難う」も言わずに持って行きました。「仕方ないや」と残りの小さな建材店のリストを手に緊急工事の情報集め開始です。

2、3日したら相棒Yが最初に訪問した梅田建材から超大口の注文が舞い込みました。神戸製鋼所の高炉改修工事でその基礎に使うと言うのです。相棒は一躍時の人に。そのY君、中洲の資料使ったとは誰にも言いません。そしたら第一印象から嫌な顔付きの先輩の1人Aが「Y君は凄いけどお前何してるんや」と。頭に来て「うるせ~なー」とやり返し険悪な関係に。要領のいいY君はそのホームランの後は会社でゴロゴロ。中洲は獲物を追って毎日5軒の飛び込み訪問を日課としました。

情報に中外道路資材という芦屋のベンチャー企業がありました。社長は若い新井元之助、慶應ボーイで長谷川一夫ばりの美男子でした。就職した横浜ゴムで橋梁のジョイントをセールスしながらシンプルで壊れにくい構造を思いつき数年で退職して競合品を世に出したのです。

その名はラバートップジョイント(後に商標違反が判明)。これも中洲の巣立ちと同じ1967年春発売開始、彼と組んで方々の橋梁補修工事立ち会いです。セメントの売上など僅かなのに夜間工事ばかり、割りの合う仕事じゃありません。それでも明け方コンクリートの強度を計測して中洲がセメント技師気取りで開通のゴーを出します。少しだけ快感が湧きました。

この時の緊急道路補修工事の報告書が旭硝子で社内ガイドブックに採用されました。

他にも珪砂を混ぜてアルミナ即硬モルタルや酢ビを混ぜての緊急接着セメントを企画するも承認取れず断念。入社以来毎日毎日本業のセラミックと副業の土木の2足のワラジを履いて焦って仕事をしました。「こんな会社なんかでくすぶる恐怖心」からでした。

新井元之助のような起業の為の就職活用法もあるのです。道義的に「そりゃないだろう」と感じながら毒草らしき匂いを感じました。この若き起業家とは奇縁が続きます。中洲は就職1年で名古屋に転勤させられて3ヶ月、今の老婆(ラオポ)との甘い同棲が会社にバレて今度は福岡に飛ばされそこで新井元之助と再会します。

中洲の会社の小倉営業所では京大出のエリート前所長が極度のノイローゼで開店2年間売上皆無でした。そこに何と中洲が入社早々喧嘩を売りつけた先輩のAと一緒に送り込まれたのです。(続きます)

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