アイパオの話(その25)

ルミカはケミホタルで釣具業界にチャレンジしました。丁度40年前のことです。

ライトバンに看板を積んで会場に乗り込みひとりで設営です。それも問屋のブースの片隅に小さなテーブル置かせて貰って「売れなきゃ潰れる」文字通りハングリーの中での見本市でした。

今では釣具の売上は全体の10%を割ってマイナーな部門になっていますがどうしてもフィッシングショーには力が入ります。毎年変な新製品を案内しておりますが今回は同業者とお客様の度肝を抜いたようです。「新製品も凄いが社員たちでブースを作り各自が自分の担当の新製品をプレゼンする姿は他所では見られない」と。

デザイナー・コムロ会心のビデオを是非ご覧願います。

世の中猫も杓子も「新製品開発こそ会社が生き残る道だ」と連呼しています。しかしやることと言えば他社が儲けていそうなのを真似するだけ。それも大抵は旬を過ぎた商品を。

一番の高給取りで一番仕事に明るいと自慢するトップの他に誰が新製品なんか開発出来るのでしょう。画期的新製品を社員の誰かが生み出したらそうそう日亜化学の中村修二さんみたいな社員が現れたら喜んでその人を社長に据えるべきだと思います。

そうすりゃその会社はきっとホンダみたいに次々と新しい社長が責任を全うする凄い会社になる筈です。矢張り創業者の心でしょうか。時が経ってなおさら本田宗一郎や江副浩成の値打ちがわかります。誰かさんも早く心を改めんといかんな。

アイパオの話(その24)

ここインテックス大阪で明日から始まるフィッシングショー大阪2019の会場に  3棟の新型アイパオが優雅な姿を現しました。

オーノ棟梁の指揮で中洲士郎以下10数名のルミカ社員が嬉々としてパイプを組み上げて行きました。午後3時サクラマスの稚魚2000匹が富山から喘ぎ喘ぎ到着。一か八かの勝負です。1度もテストしていないアイパオドーナツ水槽に富山から運ばれた1トンの清水に稚魚が放たれました。すると水槽を覗き込むアキコ以下仲間たちの心配顔の眼前を一糸乱れぬ群れを為して周回を始めたのです。行き止まりがないので魚たちはキッと富山の神通川でも遡上している気分なのでしょう。到底水が足りないので大阪の水道水をカルキ抜きして加えましたが大丈夫でした。これからも頻繁に専門家の忠告とは異なる事態を目にして参ります。言えるのは「何事もなんとかなるさ」ですね。

その組み立ての様子をヒメノ氏がBiRodで上方からインターバル撮影したものをコムロ氏が編集しました。ご覧ください。

アイパオの話(その23)

遂にこの日がやって来ました。アイパオのリニューアルです。異形PVCパイプの着想から2ヶ月、中洲士郎に散々苦心させられた老兵オーノとイワモトでした。昨日その2人のトラックを仲間15名で見送りました。

夜逃げと間違われそうです。

そして今朝10時トラックがインテックス大阪の見本市会場に到着。ここで2月1日から3日間大阪フィッシングショー2019が開催されます。木っ葉グロのルミカが尾長グロの釣具大手に負けじと20小間のブースを確保しました。それも昨年同様大掛かりなドームです。そのドームが組み立てられる横でアイパオの準備作業が始まりました。

アイパオの話(その22)

異形PVCのサンプルが大連金州で仕上がって約50日。1月29日大阪に向かうトラック積み込みまで5日を残して「革新アイパオ」3棟が姿を現わしたのです。

盟友オーノ、ヒメノ、イワモトは正月返上、遠賀工場の若手数名も土日を割いて応援。中洲は他の全ての開発案件を投げうって朝から晩までアイパオ漬けの毎日でした。この間、資材調達と加工に4回大連に飛び遅れの出た船便を飛行機便に変えて今日水槽と屋根のPC(ポリカーボ)板が到着。遂に3棟のアイパオが形を見せました。

フィッシングショー大阪2019の出展責任者で東京支店のアキコ(安藤サクラそっくりさん)に電話。「間に合ったよ」に電話の向こうで歓声が上がります。

由布院で調達した「魚植共生」の野菜と花

サクラマス稚魚2000匹の回遊水槽。果たして水は漏らないか。

11件の新製品新事業展示の開発館

アイパオラーメン館。イケアに買い出しに行ったが按配良くありません。

中洲の夜毎のいい加減な着想に翌朝耳を傾け一心に着想(妄想)を形に変えてくれる奴。それがオーノでした。(思えばヒメノ氏もドガワ氏もヒラタもイノウエも仲間たち皆んなそうでした)

この20年間遠賀工場の生産現場から週末になるといつも会社不良資産の由布院塚原の荒地に引っ張り出しての開拓作業。どんな馬鹿げた着想にも絶対に異をとなえずに作業に従事。日毎の罵倒に耐えきれず姿をくらませて6年。舞い戻ってからも罵倒の日々。満身創痍で医者通いの定年過ぎて再雇用の嘱託老兵。ニッサンの超馬力の車で野山を疾駆させてラリーで名を馳せた男も金と体力それにカミさんにも見放されうらびれて。それでも時折軽四輪でレースに出て夢を追う典型的な末路人生。そして中洲親分の無茶に正気失せた顔で一応従うしか術がない男。その男オーノに。

「オーノお前しかいない。中洲最後の頼みを聞いてくれ」そしてオーノの分身の奇怪な男イワモトと3人で過ごし通したこの50日間でした。ごめんなさい皆様。時間に追われ必死の手作業の2人の動きを追っては資材の調達に走り回ったので長らくブログをサボっておりました。

驚きは2人の日増しに軽やかになる動きと血色を取り戻した顔。問題が解けた時の笑顔。濡れ落ち葉同然だったオーノが青春を取り戻しております。そのオーノ、若い頃から一番好きな仕事は人が喜ぶ住まい造りと名人芸のユンボ作業。彼を観ていると人間ってのは好きな仕事を死ぬまで続けたい生き物のようだ。そして一升飯飯喰らいの超老イワモト。アルバイトながら今にも潰れそうなオーノを律儀に支える男。生き返ったオーノと一刻者(イッコモン)イワモト有っての「革新アイパオ」誕生でした。

この間中洲は2人に吠え続けました。

「世の不正と堕落を正すべく立ち上がらねばならない」「親分。例えば何に対して立ち上がるのよ?」「例えばトランプだ。食と職を求める難民に手を差し出すのが金持ちの義務なのに。それも貧しいメキシコの負担で国境に壁を築かせるなんぞとんでもない罰当たり野郎だ。鉄槌を食らわせにゃ」「核のボタンを握った男にどうやって?」「メキシコに地上の楽園を作るのよ。そしたらトランプの壁をよじ登るのは米国人となり選挙民に見放されるワケだ」「どうやって極貧の民に楽園が訪れるのだ。オヤジみたいな素寒貧が巨億の寄付でもするのか?」「ホームレスに家と仕事をリースするのよ。それがアイパオだ。その崇高なアイパオをお前たちが世に出すのだ」「ヤレヤレ」少しばかり気印気味の親方に正直ゲンナリ顔の2人でした。それが自分たちの手で日毎にアイパオの清楚な姿が浮かび上がって来ると2人の顔つきまで威に満ち色気まで湛え出したのです。いやあ本当にホント。それは楽しい50日間でして中洲シミジミと幸せを噛み締めております。

アイパオの話(その21)

中洲若子の話に付き合って頂いて有り難う御座いました。お陰様で若子の話をこの世に残せました。しかし作家の真似事は本当に疲れるものです。

司馬遼太郎さんなんか締め切りに追われて大層命を削られたことと改めて尊敬の念を深めた次第です。しかし皆様、私も初めて故人の話を書いてみますとこれが結構面白いんです。少々嘘書いても、悪口言っても残念ながら相手は化けて出てはくれません。

さて商品開発は小説と違ってごまかしがききません。しかし小説と同じく売らんがためにもっともらしい嘘もつきます。我々の新製品なんて所詮は巷の情報の組み合わせですから中洲の話と商品開発は同根なのでしょう。

相変わらず毎日商品開発に明け暮れておりますがなかなかヒットしません。バンバンライトなんかやっとリリースしても全然注文が取れません。大閃光エイトも然り。そこそこ良いものではお客の食いは起きませんね。相変わらず大閃光オレンジの爆買いなどにすがって生計を立てております。

さてそんな釜暮れ人生もどきの毎日にPVCの押出しチューブがやって来たのです。これを見たオーノ以下の面々カーッと熱くなってこれに食らい付きました。これからフィッシングショー大阪2019までの50日間「革新アイパオ開発」に挑戦です。

 

来年1月中に完成しなきゃ

第一棟はドーム水槽でマスが泳ぎ回ってその上にレタスが茂る

第二棟は11名のお客が一蘭ラーメンのようなアイパオの椅子に座ってカップラーメンを食べる

第三棟は新製品展示館。11名の若者が自慢の新製品をお客様にプレゼンします。

アイパオの話(その20)

中国語で鶏肋(チーレイ)とは鶏のあばら骨、スープの出汁にすれば美味しいが食べてもお腹が太らない。捨てるには、諦めるには惜しいモノを指す言葉らしい。中洲はただ今そんな鶏肋の山のような20数件の開発案件に埋もれております。その上に見本市なんかを覗くと又しゃぶりたくなる案件に出くわしてしまうのです。

ブログをサボっていた10月20日香港のモバイルショーを歩き回るうちに3件の面白い案件にぶち当たりましたね。そりゃもうメチャメチャ興奮です。

その一つが台湾の会社で手の中に収まる小さなUSB真空ポンプを開発。旅行時携帯品を容積半分に縮めるアイデアグッズです。

即座にこの商品の多用途展開を考え帰って老人のアイデアをメールしたら「すごくINOVATIVE一緒にやりたい」と。同期性がいい相手に上手くいく予感。

掃除機の口じゃなく針の穴から空気を抜くと袋の中の真空度は凄いんですね。目からウロコです。回路を切り替えれば複雑な空ビに使える。魚や野菜の真空パックに。中洲得意の真空調理器に。船長のヒラタ君に話したら「ウワー。魚の血抜きに使える」ルミカにピッタリの商品になりそうです。

一方で本命中の本命「新アイパオ開発」がスタートしました。これはヒメノ、オーノ、イワモトチーム。キモチはいい仲間だが中洲の珍奇なユメを追うにはチト頼りない。棟梁オーノをサトシさとし、大飯喰らいのイワモトにカツ丼2杯食べさせて昨日から新アイパオの組み立てが始まりました。すると彼ら途端に目の色変わって中洲そっちのけで造作にハマっております。

来年1月迄には「ホームレスや難民に家と仕事を売り付ける」奇跡のビジネスモデルが産まれるでしょう。

だが鶏肋も捨て難い。一昨日は由布農園の椎茸パオから頬ズリしたくなるような大きな椎茸を収穫しその真空袋に入れて密封。それを我が家の冷蔵庫に入れて1ヶ月後の鮮度を楽しみにしていたら早速老婆(ラオポ)が見つけて開封、昨日の食卓に焼き椎茸に変じておりました。アイパオと一緒に50本のホダ木もリースします。5年間値打ちものの大型椎茸が都会の中で収穫出来るのです。真空パックで出荷です。椎茸アイパオの2階はヨメはんから逃れてのひとり書斎。世の男性諸君に夢と希望を与えましょう。

アイパオの話(その19)

昨日10日は爽やかな日本の秋晴れの中一路由布農園へ。幸せを噛み締めました。

農園では新沢さんが育てた里芋、生姜、そして菌を打ち込んで1年半遂に立派な椎茸が薄暗いアイパオの中で大きな傘を付けていました。

老婆(ラオポ)の渋柿。去年は収穫が早すぎたと老婆(ラオポ)に散々文句言われたので今年はまだしっかり熟らしております。

後ろがアイパオの椎茸小屋です。

大きな立派な椎茸にもうビックリ。家に持ち帰り一個だけ老婆(ラオポ)とバタ焼きして食べました。もう悦楽でした。アイパオ様様です。

12日大阪のお客様に届けます。

桑野さん宅の見事な紅葉。これを見て牛小屋を断念。人間の住む家に変更しました。

リックの家の紅葉。一昨年のように青が入った七色にはなりませんでした。

モグニゲル

モグラが退散したのは5m四方位の狭い範囲です。次回更に詳しく効果を調べます。

今日は足早に由布農園とアイパオの報告でした。

アイパオの話(その18)

最終第5戦は岩手県花巻市にある某大学オープンキャンパスのシャワールームです。

大学生達が大震災救援活動で頑張っています。ここではジャグジーを提供しました。学生たちはそりゃ楽しそうに手伝ってくれます。感じたのは自分たちの住まいを作るのは物凄く楽しいってことです。

上海の空ビの会社に格安で分けて貰ったジャグジー

以上が東北での都合9棟の救援用アイパオ設置の記録です。息巻いて救援活動なんかしましたが「果たしてあれは何だったのか」と自問自答しておりました。しかしこうして思い出して 皆様に記録を綴っておりますと少しは意味があったような気がして参りました。

人が喜ぶ姿を思い浮かべながら家を建てるのは一番楽しい仕事です。家というのはそして家のあるじとは本来そんな役割のものだなと感じた次第。だから素人が建てれる合理的なハウスキットがあるといい。これで東北作戦活動の報告を終えます。

この後も宗像大島の避難所や熊本震災救援施設にアイパオを提供しますが密かに狙ったブームは起こりませんでした。

東北転戦終えた翌年の暮れ、ここは江東区木場にあるバー・コルの止まり木。あの小生意気な娘ミキと被災者救援活動について議論しております。思うんですが女性と男性特に若い女性との討議は何かこう本質の部分で噛み合わないようです。

「なあ。あの瓦礫の中に風呂の水が流せないって馬鹿じゃないかな東北の人間って」「何よ。その差別的発言。当たり前でしょう。私だって髪や身体を洗った汚い水を地面を這って流すのって嫌よ」「だって時と場合を考えろよ。自然災害は戦争なのだ」

そう言うもんか娘ってものは。若い男には誰にでもデレデレする癖に親爺には手厳しい。ドン・キホーテにも宿屋で底意地の悪い3人の小娘に手酷い仕打ちを受けて落ち込む場面がありましたが。

戦争では責任ある命令指示系統がなければ敗戦と膨大な同胞の死が待ち受けます。そして敗北の認識と迅速な戦後処理が復活に不可欠。東日本大震災は日本の完全敗北。限りない復興浪費。そして虚無感。矢張り戦争には「備え」と賢い司令塔が要ります。

とにかく彼女の話は長い。夜中の2時3時迄の議論はへっちゃら。「難民も被災者も憫むのは止めろ。ビ・ジ・ネ・スの話をしなきゃ」その中洲の結論へこの娘を引き込もうと焦る親爺にその小娘ミキが突然運命的な話を持ちかけるのです。

アイパオの話(その17)

続く第4戦は岩手県大船渡市三陸町です。ここでも都合3棟のパオを建てました。

大学講師の素敵な女性。秘密の隠れ家を作る気分で皆さん楽しんでました。

皆さんに手伝って頂きました。サインはVがお好きのようで。


序でにアップで

被災者の子供達用のバス停に。村の皆さんと話し合って建てました。土地は自動車修理工場が無償で提供。整地の砂利もどなたかから提供していただきました。

2棟は住民の仕事部屋にしました。これが台風で飛んじゃいまして。結局撤収しました。

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取材がありました。

アイパオの話(その16)

第3戦はいわき市です。仮設住宅入居者サポート広場に3棟建てました。あの楽しかった作業がまざまざと瞼に浮かんで参ります。隣接する障害者施設の皆さんも一緒になっての家づくりでした。障害のある子供達がそりゃもう「きゃあきゃあ」言って人の為に精を出しています。

ここの館長さんは本当に本当の人格者でした。心の有りようが言葉と態度に滲んでいました。

障害者達の兄貴分と一緒に。

後にこの広場はパオ広場と命名されて大事にされているとの便りがありました。

思えばあの東北救援活動は失敗じゃなかったのかもしれません。