アイパオの話(その4)

3月12日の朝が来ました。天空からは何事もなかったように穏やかな日差しが降り注ぎ、景色の中には露ほどにも人々の嘆きをいたわるようなモノは見当たりません。

唯、時折地底の傷を癒すような余震です。ここはジタバタしても始まらん、あの一晩中燃え盛った久之浜漁港をこの目で確かめに行こうかと迷いましたが「物見高い奴だ」と軽蔑されるかも知れん、それに「又地震と津波がやって来るんじゃないか」と少々怖気付いて取り敢えず久之浜から東京を目指すことにしました。

勿論一睡も出来ず疲れ果て腹も空いておりました。国道6号線は壊滅との情報で245号線をてくてく2時間ほど歩き35号線に出会うところでご婦人運転の車に拾われます。お寺の井戸水を貰いに行くところだと。どこも水道は止まりコンビニも開いていないので飲料水に困っている由。途中のガソリンスタンドは車が長い列を作りおまけに給油は10リッターに制限。これこそ行政の怠慢で腹が立ちました。結局3台の親切な車を乗り継いで打ち壊れた常磐線のいわき駅にたどり着きここでタクシーを拾いました。

そのまま東京を目指せばいいのに宿を探すことにしたのです。変な気分ですね。このまま東北を見捨てて平和な福岡に戻るのが何となく悪いような惜しいような・・。本当に馬鹿だな中洲士郎は。

運転手は40歳くらいの姉さんで「その時あんたはどうしていたのか?」当然の質問です。「私はねえお客さん、非番でパチンコしてた。地震で揺れた時パチンコが物凄いフィーバーモードに入ってね。もうやめられやしない。天井から板切れが降って来るわ床上はパチンコ玉が溢れるわ。スピーカーは、表に出ろとがなりたてるわ。しかしこのフィーバー、終わるまでやめられん。とうとう打ち終わって最後の客になったよ。興奮したね」だって。その気持ち分からないでもない。中洲士郎、自分もそうするかも知れんと答えました。そしてふと地震の極限の中でのパチンコのフィーバーモードと絡み合う男女の姿が重なったのです。

タクシーで探しても探しても営業しているホテルなんか一軒もない。その姉さん運転手、パチンコの話で面白くなってか「どう?うちに来て泊まるか?」親切な話だが座席でブラウズしていたら丁度磐城温泉健康センターがヒットしたのです。電話の向こうで何となくだが泊まれる部屋があるような口ぶりでした。

当の健康センターでは電気も灯いておらず薄暗い玄関口で被災者の為に炊き出しが準備されています。久しぶりの食事だった上にご飯とおかずにはトンカツもあって本当に美味い調理と優しい作法に感動しました。

ふと、傍の女将さんに目をやると又これが言いようのない美しさ、東北美人とはこんな人を指すのでしょうか。「実は当センターは公共設備のためにひどく壊れた今、宿泊に供することは出来ません。ついては自分が経営する宿が裏手にあります。よかったら見られた上でお泊り下さい」と。

それでその女将に案内されたのが林の中に立ち並ぶ小さな小屋・・若しかしたらラブホテル!?そうでした。もう暮れに近く薄暗い6畳ほどの部屋。風呂場を覗くと当然お湯はない。タイル張りの四角い湯船、床には何と奇妙なエアーマット。ご丁寧に「ゆっくりお楽しみください」との貼り紙まで。気がつくとラブ小屋の入り口に密やかな香りを漂わせた女将の立ち姿がぼんやりと浮かんでおります。

変な気分で床について12時頃目を覚まし真っ暗の道を恐る恐る国道に出ました。数個の電灯が点いたコンビニも盗難に会ったのか入り口は板切れに釘が打たれひどい有様でした。なるほど災害の後は盗難防止が肝心です。当然といえば当然この時間に女将の姿はどこにもありません。時折思い出したように車が過ぎます。人影は一つもありません。

以上が中洲士郎が見た被災直後の福島ルポです。


その頃我が由布農園では相棒のニイザワさんとガールフレンド。平和です。

アイパオの話(その3)

気がつくと数人の女子中学生が甲斐甲斐しく炊き出しのおにぎり一個と乾パンの缶詰を配り始めます。

驚きました。中学の先生たちと生徒たちの間ではちゃんと段取りが付いていたのでしょう。何時もの練習で試合に臨むかのように淡々と役割を果たしております。悲しみを沈黙に押し込める年老いた被災者たち、日頃の訓練をさらりと演じる先生と生徒たちを先ず観察しました。「これこそ日本人の美徳なのかなあ」複雑な気持ちです。背広にネクタイの今思えば異様な風体のこの老兵にも娘が無言で食べ物を手渡して呉れます。「この年頃になると必ず神様がふっくらと色白に焼き上げてくれるものだな」とその娘にちらりと目を配り食にありつきました。

空腹も覚えず美味くもない飯を頬張り乾パンをかじり終わると少し避難民の気分になって校内をうろつくことにしました。停電はなかったが水道管が破損した水洗便所は溢れた糞尿で大変な事になっています。トイレと言えば夜が更けて校庭に張られたテントの中、ダンボールのトイレで娘達が用を足しているのです。男のように立ち小便とはいきません。自然災害で第一の困難はトイレだと思い知らされました。汚物の沁みた紙トイレの山積みを見るにつけて現代人の策のなさに呆れてしまいます。

地面にサッと穴を掘ってそこにパナソニックの洋式トイレを据え、その周りをカーテンで囲えばいい。用を足したら土をかけるのです。発酵菌が一緒なら糞尿は直ぐに土に還ります。フィンランド人は湖畔で皆そうやってます。

昔ならインデアンの酋長よろしく経験豊富な翁が適切な指示を出し皆は素直に翁に従って被害を最小限に抑えるでしょう。だが「平時の弱虫達が有事になると大声の害虫達」となって何にでも正論のイチャモン付けるのです。至る所でそれを目にしました。彼らは自分の意見が通るのが嬉しいだけで何ら解決案を用意するわけではありません。平時のルールが有事では問題解決の妨げにさえなります。じゃあ一体全体どうすればいいのか。答えは有るはず。その答えをこれから見つけ出さなくてはいけません。

その夜、暖を求めて立ち入った教員室のテレビに報じられる恐ろしい光景はまさに日本沈没でした。遠く千葉の石油コンビナートも火の海に包まれています。この久之浜地区でも42名の犠牲者が出たとのこと。あの土煙の下が阿鼻叫喚の世界だったとは。中洲が乗車した富岡駅も流されてしまったそうです。避難所は沈黙が支配しています。年寄りが多い。幾度と繰り返される災禍の中で地方の人々はその時いつもこうなのでしょうか。テレビの向こうで喋っている行政や報道人との温度差が余りに大きいのです。

行政の第一の使命は人民を災害から守ることと迅速な災害復旧でしょう。良い政治か悪い政治かは災害の時に露呈しますね。会社も経営者も然りでしょう。テレビの向こうは本当に恥知らずのエリート達、それとも経験と知恵が無いだけなのだろうか。だったらこちらから知恵を出してやればいい。災害の時に先ず必要なものは何か?退屈だから校内をうろつきながら思案しました。

それは家でない家。即ち10平方以下の雨風に強くものの数時間で建ち上がる綺麗な家です。空き地にどんどん建ちます。ラーメン屋、集合トイレ、お風呂、二階は子供達の部屋で天井には映画も映ります。ラブホテルも有ったりして。道具小屋も欲しい。しかも価格は躯体だけなら10万円。校庭中に各色のドームが光っているのです。子供達はここがいい、ここに住みたいと。

早速例の害虫たちがやって来ます。「ところで君ィ、建築基準法は通っているか」と。「あなた10平方以下は家じゃない。だから法律は適用されませんよ」「台風が来て小屋が飛んだらどうするんだ」「逃げればいいでしょう。今回の津波に比べれば台風なんてどうにでもなる」

士郎の脳味噌が震え出し例のうわ言が始まり次第に熱くなって来ました。「俺は九州に戻って直ぐに救援にやって来るからな」と。

久之浜中学の体育館で

久之浜漁港。夜通し燃え続けました。

久之浜漁港。壊れた岸壁

アイパオの話(その2)

2011年3月11日午後2時46分に異変が起こりました。東日本大震災です。世界が戦慄する中で日本中がこの災害に巻き込まれて行きました。

事もあろうに中洲士郎を乗せた常磐線富岡駅2時20分発いわき行き上り普通電車が久之浜駅を過ぎて国道6号線が寄り添うように走って踏み切りに差しかかった時です。突然ガタンガタンと大きな音を立てて列車が飛び跳ねるや急停車したのです。国道を走る車はバウンドしながら止まりもせず走り続けています。

何か少し滑稽な感情に囚われて眺めていますと、まばらな乗客の前を車掌が運転席めがけてすっ飛んで行きました。何とオーバーな事と可笑しかったがその車掌に列車から線路わきに飛び下ろと指示されたのです。降りた線路から後方を見やると500メートルほど先に久之浜駅が 目に入ります。仕方なく乗客20人ほど連れ立って駅に向かいました。その時5メートル程眼下に広がる太平洋はとても穏やかでした。

駅迄の途中の家屋、駅前、駅舎とプラットホームもそれなりに破壊されていましたが、まあそんな程度の地震だろうかなと思って観察していました。ところが地震に続く異変がまず天空に起こったのです。不気味な暗がりが周囲に広がり気温は急速に下がって降りだした雨がみぞれに変わります。

高所を探すと線路に掛かる跨線橋が目についたのでそこに上がりました。人気のない沈黙の街に退去を呼びかけるパトカーの間の抜けたゆるい声が耳に入ります。次に東の海の方を眺めてみました。こんな時に津波なんか本当にやって来るのだろうか?不謹慎な期待もあって遠くに目を凝らしました。すると5分程して突然東の彼方の空全部を土煙が覆ったのです。

雲じゃなくて物体が押し寄せて来ております。慌ててiPhoneをビデオモードにするが何と電池残量が乏しい。それでも撮影を開始しました。「やあ電柱がなぎ倒されている!」隣の声。士郎は目が悪くよくみえない。「わあ水が来る。6号線にも溢れ出したぞ。」騒ぎが大きくなり彼方の土煙の中に火の手も上がり出しました。その時誰もが感じるのは津波はここまで来やしないだろうという変な確信です。しかし駅長に叱られ促されて線路を渡り高台にある久之浜中学に避難する事になりました。

途中で傍の川に目をやると何と川の水が陸地の方に逆流しているではありませんか。我が目を疑います。小型車が泳いで上がって来るのです。校舎に入る前に正門の横の空き地に入り火の手が上がっている久之浜漁港を眺めることにしました。沈黙の中で街の火が延々と不気味に燃え盛るのに消化作業の気配が全くありません。久之浜漁港では確実に大惨事が起こっていると実感しました。後で解ったのは無常な2番津波が港を破壊尽くし42名もの命を奪ったのです。

周りの誰一人からも港に救出に行こうとの声が上がらない中、中学校の体育館に入り大勢の被災者と寒さに震えることにしました。俯いて無言の数百人の被災者を支配する空気は一様に「嗚呼、仕方がない」でした。

列車から降ろされました。

アイパオの話(その1)

今日で欧州出張は終わりです。夕刻の帰国便には台風24号の手荒い出迎えが待っております。

この出張でも沢山収穫がありました。即行動(大抵は軽率な)を信条として来た中洲にとってブログは貴重な体験になっております。一旦文章にする事で少しですが物事を再考することを覚えました。それと間違った記述で人様に迷惑をかけるか怒りを買うんじゃないかと心配になります。言も重いに越した事はありませんが。

ブログに間違った事は書けません。事実の裏付けが必要だとフランスのエリックにミュンヘンに来てもらいました。ところがブログの為じゃなく現行のビジネスにとんでもない発見があったのです。

それは日常の仕事での歴史と人文地理の重要性です。どの様な職種、立場にあっても過去の歴史を徹底的に洗い直し現在の人文地理を把握するなら自ずから戦術が明らかになるという当たり前の事です。責任者ならその心得は必要条件ですが果たして世にどれほどの責任者が心しておりましょうか。

然しですよ。もしも世に出た駆け出しの若者が職場で誰よりもこの2つを体得して政策を立案したらどうなるでしょう。「孫正義」も「スティーブジョブス」もテスラの「イーロンマスク」もそこを解っていたのでしょう。そして大事業を成し遂げました。中洲士郎はこれに気付くのが遅すぎました。いみじくもブログ記載のためにエリックの話を拾って化学発光の年史を埋めるうちに明日が炙り出てきたのです。有史この方、国も会社も覇権を戦略の中心に置いて戦って参りました。ルミカの事業の目標を覇権に置けばその道が歴史上に見えて来たという事です。

今回のドイツ出張中に取引先の女性社員と仕事の夢を語りました。昨年覚えた「タリスカー」に代わって今度はスコッチシングルモルトの芸術品(写真のオーヘントッシャン)のストレートです。世の中にこれ程芳醇な酒がありましょうか。この酒に酩酊しながら語り合いました。

英語ドイツ語を自在にこなし理系にも明るい彼女の話では「この世に生を受けて大学で学んで今度は恵まれない人たちの力になりたい」それでソーシャルワーカーに進みたかったが父親が許さなかったと。彼女の考えには中洲酔いに任せて強く反論します。「お父上に同感。奉仕では貧困の問題は解決しない」「施しを受けるよりも取引を望む。それが人間のプライドだ」「だから中洲士郎は世に1億人ものホームレス(実際はこの数倍)に家を売りつけるビジネスを思いついた」延々と彼女にまくし立てること15分。多分何事も打算に走る中洲の姿勢には彼女同調してはおりません(経済至上主義で人類は幸せになれるのか)。この世界一の大ボラを実行に移すのは2年後としておりましたがこの才媛に極秘のミッションを明かした以上早速着手するしかありません。そして会社の可愛いシトミちゃんの「他のホラは良いけどアイパオのホラだけは許しません」との無礼千万な物言いに鉄槌を食らわせましょう。

それではアイパオにブログの焦点を当ててキホーテにならい痩せ馬を進めてまいります。

「こいつはストレートだね」