チェリービールの話(その6)

[失敗は成功の母]

ジャムの失敗作の活用にも知恵を絞りました。色が悪い、ペクチンが不足してるなどで破棄するのが沢山出ます。何か活用法はないか思案しました。

由布院農場では生ゴミ発酵に取り組んでおります。その中に色の綺麗な菌体の塊を見つけジャムで培養してみました。春になって近所の農家からヌカを大量にタダで分けてもらいこれに菌体とジャムを水で溶いてヌカにまぶして土囊袋に10kg程詰めて布団に包んで培養するのです。2週間もすると白い菌体の中にジャムを食べて赤くなった菌体の硬い塊が出来ました。これをLMC34菌と銘打って農園や老婆(ラオポ)の庭で使用しています。多分錯覚でしょうが「いい菌だ。分けてくれ」という御仁も現れて配布しております。

湯布院の食堂で発生した生ゴミと発酵槽

出来上がった菌体(主に乳酸菌)

2015年大村智先生がノーベル医学生理学賞受賞されたのは寄生虫によって起こる感染症の治療に有効な菌体の発見でした。バクテリアには無限の可能性があると仰ってます。ジャムのような甘い色の付いた食べ物で菌を培養して色で菌種を選別したりペクチンやセラミドを効果的に抽出するのはどうでしょう。

[農薬バスターの誕生]

結局毎年500~1000瓶の150g入りジャムを知人に配布しました。大変好評でしたが原料のサクランボが中国旅順産と言うのは憚られるのです。中国産の食材は聞こえがよくありません。矢張り中国で作って中国の人に食べて貰うしか策がないのか?それに飢えた農民が欲に任せて農薬やホルモン剤を無闇に使用していたらと思うと心配で最近数年は新たなジャムの仕込みを差し控えております。

そんな中でサクランボに農薬が付着しているかどうか簡単に検出できる方法を見つけました。残留農薬と反応して化学発光させて目視検査するのです。これを農薬バスター発光スプレーでやれば悪質なサクランボを除外できるでしょう。いよいよチェリービールの開発が6月に始まるのでこっそりと残留農薬を検出してみましょう。

グラスの温水洗浄が充分でないと残留農薬や残留洗剤で化学発光が起こって目視できます。

中国産を皆さんひどく毛嫌いしますがこの方法で検査すると私たち日本での身の回りでも残留農薬や残留洗剤が溢れています。例えば熱いうどんの汁をドンブリから喉にかきこむ度に湯に溶けた有害な洗剤(界面活性剤)が胃袋に蓄積されるのです。大手の洗剤メーカー2社に掛け合いましたが相手にされません。ただ一社サラヤのヤシの実洗剤だけが良心的でした。むしろ中国の行政と組んで残留農薬バスター運動やるのがいいかも知れません。そうしたら世界で安心できるのは中国の農産物だけだってことになるでしょう。

[調理法の研究]

いよいよチェリービール開発に突入します。もうすぐ旅順のチェリーで作ったビールを大連市長や書記に試飲して貰う事になります。6月に入ったら旅順に飛んで鮮やかなチェリーソースを開発します。それを無色に近いビールに添加する手筈が整いました。

そんな折「食品エアゾール開発」の話を聞かされたのです。極限の色、香り、味のチェリーソースをスプレーから単独あるいは別の材料と合わせて料理に噴射するのです。真っ白い皿に焦げ目のついた黒豚ステーキ。これが鮮やかなピンクのチェリーソースで彩られます。

皆さま。話が長くなって 申し訳ないです。ここで知って欲しかったのはルミカの開発手法は金と技術と時間が掛からない小物ばかりです。勿論男の夢工場を庭の隅かベランダに建てて1人で開発出来る程度のテーマです。

それではチェリービール本題に入ります。

チェリービールの話(その5)

調理器の事も書き残さなきゃあ。「鉄製はいかんよ。銅製が良いけど値が高いし熱の伝わりが早すぎるのでまあステンレスにしとけ。お玉杓子は木製がいいやろ」老婆(ラオポ)は威張っとります。しかしこの人の教えに従う他ない。

「それよりホーロー鍋ならどうだろう」中国の地方の市場には未だホーロー製品が安く出回っております。ホーロー製品の洗面器でしたら200円くらいで深鍋よりもずっと加熱撹拌が容易でした。サクランボを煮るのに洗面器使っているとは老婆(ラオポ)に話していません。

皆さま。どんな屁理屈つけたところでチェリージャムなんかをルミカと言う会社の事業に組み込むのはナンセンス。ところがこれが大連市から旅順特産品にしてくれとの要請。更に旅順名物チェリービールを誕生させるならそれは立派な社会貢献ですよね。隠れてゴソゴソやってたのが突然桧舞台に出ようとしてます。

仮にとんだ愚行だったとしてもこの作業から予期せぬ収穫、そうセレンディピティ(ついでのお駄賃)が出そうなのです。皆さま「嘘だろう!」って?まあ聞いてください。

[男の夢工場誕生]

さあ真空脱水装置エバポレーターを手に入れましたがこの装置の置き場と作業場所確保が大変でした。実験室の隅っこ、中洲若子が店を閉じた「赤ひょうたん」、島興こしとやらで取り組んだ「宗像大島」の施設をさまよい最後は本社駐車場にアイパオを建てて中洲ジャム工場を布告しました。

欧米の大抵の家庭では男の仕事場としてのガレージが有って工作機械も揃え男達は自分の威を保っています。しかし日本の男はと言えば狭い家に書斎も仕事場も無く無気力な邪魔者に身を堕落させているのです。中洲士郎もその一人でした。「妻子の為に男よ立ち上がれ!」そこに一攫千金を夢見る亭主の隠れ家「男の夢工場」アイパオが登場したのです。

初代アイパオはスチールチャンネルにビニールシート。

2代目はPVC異形パイプにPC(ポリカーボ]外装

[チェリーキャッチャーの発想]

果物の収穫はどれもこれも手作業と決まっています。枝の剪定も大変な作業です。旅順ではチェリー栽培で貧しい農民の多くが職に有り付きました。しかし4m以上の高い枝からの収穫は難儀で危険です。人手不足も加わり果樹の高所は未収穫チェリーだらけ。何かいい道具を開発しなきゃ。

5年ほど前青森のSさんの依頼で雪庇落としを開発しました。BiRod7500です。これを進化させたBiRodセットでは高所撮影や瓦礫の中、水中撮影もできるので人気商品に育ちました。次にBi見逃サーズとなるとこのBiRodの先にカメラと熊手と収納籠が付き手元のタブレットの映像を観ながらキャッチャーを操作してチェリーを収穫するものです。

チェリービールの話(その4)

2005年から旅順の素敵な6月になると100kg程のチェリーを買って女子工員たちとジャムを作るのが年中行事になりました。老婆(ラオポ)いないし娘たちとそりゃ楽しい作業です。この仕事、失敗だと発色が悪いので勝負が早い。それには先ずチェリー選びです。沙蜜豆(シャミトウ)という新品種それも裏なりの小粒なチェリーが凄いホットピンクで味も抜群だと分かりました。

こんなチェリーだったら間違いありません。

老婆(ラオポ)から色落ちを防ぐには「火を止めてからレモンを絞って入れよ」と。しかし一個でもレモンの種がジャムに紛れ込んだらアウトだと脅されてポッカレモン100を採用。そしてNHKのガッテン番組で紹介されたレモンを冷凍して皮を擦って粉にして仕上げに入れるという隠し技を拝借しました。

次は加熱です。そもそもジャムは大量の砂糖それもグラニュー糖で煮込んで水分を飛ばすわけで組織も色も壊れて仕方がないのが常識です。

じゃあ沸騰を極力抑えて水分を飛ばすには真空低温調理しかない。そこで研究室のヤマテをそそのかして高価なエバポレーターを調達させてジャム作りに流用しました。この時からです。中洲語(乞食と社長は3日やったら辞められん)が飛び出すのは。

写真はそのエバポレーター。温浴はせいぜい60℃で先ずジャムの中の空気が大量の泡となって出ます。この時突沸に注意。次に水蒸気が冷却器に触れて水滴が溜まって行きます。この過程でレモンが上手い具合に悪い空気に置換されて長期間色落ちを防ぐのじゃないでしょうか。

同時に究極のジャム開発の必要に迫られて誰の造語か「乱心殿の変な開発」の数々に矛先が向いて行くのです。そして知恵を絞るのは何時も4畳半の本が降ってきそうなベッドの中。

旅順の工場で半加工したジャムの保管と輸送が問題に。試行錯誤の末、密封加熱殺菌と冷凍保管を考慮して食品用ナイロンラミネートのアルミフォイル採用して致命的問題が解け挑戦が継続できました。

余談ですがこの袋は鮮度を保つのに抜群で「お魚パック」として後に商品化。キヨタカにお魚百科からパクらせたデザインが気に入ってます。少し売れてるけどイオンの魚売り場にでも営業が売り込めばいいのにねえ。

さて次は日本でのジャム工場確保。そりゃ新事業挑戦は分かるが何も食品でそれもジャムなんかね〜。もしも役員のひとりが「社長どうぞどうぞ」とやったらそいつは大変なゴマすりで会社を潰すだろう。中洲が勝手にこさえて皆んなの目に少し触れるが黙殺出来るくらいがいい。そこで・・・。

チェリービールの話(その3)

 

大連の旅順が外国人に全面解放されたのはやっと2010年のこと。だから21世紀に入っても旅順は産業は勿論農業も大陸の中で一番出遅れておりました。汚い旅順小学校の跡地で細々会社を営むルミカは稀有な存在です。女子工員の給与も南方の中国より随分安く1万円位だったのに近隣の農家の年収はそれより低いと耳にしておりましたので旅順の農民の貧しさは想像にかたくありません。出社途中でセメントレンガを土で固めたような農家が区画整理でブルトーザーでなぎ倒されるのをしょっちゅう目にしました。

この貧困の旅順長城鎮で2000年頃からチェリー栽培の研究が始まりました。

2003年の事、中洲が親しくしていた旅順区長城鎮の書記に案内されて近くの農業試験場を訪問しました。これが中洲とチェリーの出会いでした。交配は淡いピンクの日本の佐藤錦と濃い紫のアメリカンチェリーで始められた模様で既に写真のような8種類ほどの新品種が生まれておりました。

輸出品としていずれチェリーの加工が必要となる。チェリージャムやチェリーワインの製造を検討すべきと提言しましたが・・・。

 

試験場に掲げてあった看板

見事な鈴なりのチェリー

4

2004年6月老婆(ラオポ)を引っ張り出してチェリージャムを試作しました。種を取り出すのが面倒です。丁寧なアクすくいと火加減の調節指導でラオポのうるさい事。

火を止めた直ぐは素晴らしい色合いだが真っ茶色への変色は避けられそうにない。どうやったら色落ちが防げるか?

 

チェリービールの話(その2)

先ずチェリービールの写真から

これは5月16日旅順口区の要人を会社のVIPルームにお招きして開いたチェエリージャムとチェリービールの開発会議の一コマ。

ルミカで博識と言えば大阪支店イケダ氏。彼に頼んで調達したチェリービールを日本から持参しました。

先ずは皆様とチェリービールの知識を共有しましょう。イケダレポートによるとアサヒビールで取り扱っていた「Belle-vue Kriek」というチェリービールは昨年取り扱いをやめてしまったそうですよ(アサヒが作っているチェリービールもありますが、酒屋向けに樽売りしかしていない)

やまや古賀店(092-410-2899)に確認したところ、下記のみ取り扱いがあった。それは

St.Louis(サン・ルイ) Kriek(クリーク)

※同じ銘柄で、ほかに、フランボワーズとペシエ(ピーチ)の種類があるとの事。

写真はこのサン・ルイクリークです。美味しいですね。シャンパンのように仄かな甘みと炭酸のすがすがしさ。何より色が綺麗です。長くチェリージャムに挑戦している中洲だから分かるけどこのようにチェリーの色合いをキープするのは並みじゃない。

開発の目標は今や旅順の農地の9割を占めている数百種類の品種のチェリーから最適チェリーを見つけてこのベルギーのクリークよりも素晴らしいビールを生み出すことです。

大体ですね。中国はそりゃ何を取り上げても世界のトップクラス。しかしお酒だけはいただけません。60°の白酒(パイチュー)で手っ取り早く酔っ払うしか能が無い民族なのです。ここに世界に誇れるお酒が欲しい。日本がウイスキーでも世界のトップに立ったようにね。それには先ずチェリービールだ。これで世界を制覇しようって大連市の要人を前に中洲がブチました。

そもそも中洲が政府の要人に門外漢のチェリービールの講釈を垂れる因縁を開発に着手する前に皆さまに説明しとかなきゃいけません。これって軍平さんが説くように人生にはモノとの不思議な出会い、奇縁があるのです。

その1

15年前我等が村の長城鎮の書記が中洲を鎮の農業試験場に連れて行って日本の山形の佐藤錦とアメリカンチェリー交配の現場を案内しました。

その2

ウチの老婆(ラオポ)は手作業の達人。翌年これを大連に連れ出してチェリージャムを作らせました。

その3

中洲は真空蒸留方式でチェリーの色落ちを防ぐアイデアを思い付き化学屋のヤマテをそそのかし研究室の高価なエバレータを失敬し一連の生産方式を確立しました。

その4

「大概で止さんかい」老婆(ラオポ)の叱責に堪え開発続けてチャンスを伺うこと12年。イケダが最重要の取引先のA執行役員を旅順に引っ張り出したのが昨年のチェリー真っ盛りの6月。この役員との間で食品の新ビジネスを立ち上げようとの秘密のプロジェクトが発足

その5

米中衝突から中国行政は国内産業育成強化に舵を切り大連からも市長の使節団が日本に乗り込んだのが今年の4月末。お偉方を前にして中洲がチェリー節ブったら冷旅順区長に大受け。

その6

瓢箪からコマとはこの事。冷区長に全部で5件のチェリー加工プロジェクトを仰せつかって中洲奔走するハメになったのです。

その7

ここは旅順の哲人張さんに責任を引き受けて貰おうと5月17日出掛けたら「お前がやれ。ナンボでも応援するよ」更に「哲人新開発の納豆菌健康飲料もチェリーソースで作ってはどうか」って新たな魅力的なご提案。

実はアッコの謀略で一年着手が早まったアイパオ開発上市。それも魚植共生とやらで2000匹のサクラマス稚魚の世話で現在絶望の淵に立たされているヒメノ隊長以下の開発チーム。これにチェリーが加わったら暴動が起こるでしょう。ここはイカサマ師中洲士郎ブログの日付を操作して「戦艦ポチュムキン」宜しくぜ~んぶ記録に残します。

チェリービールの話(その1)

 

皆さますっかりご無沙汰致しております。と申しましてもこのブログにお付き合い頂いております方の数が少ないのが幸いです。

駄文でも書いてみて少しわかるのですが日本語って本当に奥が深い。まさに明治から世に出んとする無名の作家達が飢えの中で生み出した言葉の宝石の数々。どれひとつ拾い上げても中洲の遊びの文章では到底太刀打ち出来ません。それでついつい文章が書けなくなってしまったのです。それでも「文を読んでもらう為じゃない。書いておきたいから書くのだ」と思い直して大連のホテルの一室で机に向かっております。

中洲士郎の自宅の4畳半の書斎と言えば聞こえがいいが部屋の壁中は家族の溜めた本で埋め尽くされた本の捨て場所であります。それでも時々チェックしてみるとこの60年中洲が読んだのはその内の1割にも満たず、老い先考えると気が重くもなります。先日の夜中意を決して一冊を取り出すとそれが瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」でした。読み始めるとこれがまた面白い。そこには近代文学史を担った作家たちが素顔で息づいております。それに寂聴さんって本当に言葉選びが秀逸で表現にウイットがあって筋立ての随所に仕込まれた「落ち」が実に美味しいのです。

生きるってのは人との出会い。死ぬってのは好きだった人達との再会。そんなことを言って序文から読者を引き込んでおります。

出会いと言えば中洲士郎今回の5月15日からの大連出張の出鼻からショックの連続です。福岡空港でエアチャイナの出発間際、ラウンジで卑しくタダ酒一杯引っ掛けてトイレで用を足してそそくさ出てきたら若い男が中洲に向かってにっこりしています。多分知り合いなのだろう。彼に笑顔で応じながら急いで似顔の符号を開始しました。「何だ。俺の息子じゃないか!尾道から何でこんな所に」ドギマギして挨拶もそこそこに彼は同時刻発香港行きに中洲は大連に向かったのです。やっぱり老婆(ラオポ)言うように認知症が心配になります。

機中でアイパッドを開くと偶然にも息子が「読んだら?」とKINDLEに残しておいた「任天堂ノスタルジー横井軍平とその時代」が目に止まったのです。この本を読み通すうちに思いに浸らされました。確かに生きるってのは寂聴さんが仰るように全て人との奇縁ですが軍平さんを読むと同じく大きいのがモノとの出会いなのですね。ふとした縁でそのモノに出会わなければ違ってしまった筈の人生の面白さと怖さ。そんなお話でした。

人って誰もが「自分って何だろう。何故存在するのだろう。自分の存在意義って何だろう」って思いが川面の泡のように湧いては消えて行くようです。そんな時に偶然ある人の生き様を識って人は自分の存在理由に確信が持てるのじゃないかと思います。

今回中洲士郎もその一人になりました。横井軍平その人の商品開発人生に「やっぱりそうだ」って確信を深めたのです。そして本当に下らないかも知れませんが中洲士郎の滑稽な開発物語でもどなたかお一人の読者の共感が得られていればそれもブログの存在意義かも知れないと・・・。

老人の小便のように随分と長たらしい前置きになりましたが今回は「チェリービール」というきっと美味この上ない開発の話を仕込んでみます。ご期待ください。

(参考までに)

横井軍平さんのヒット商品をご紹介したいのですが転載が禁じられていますので。是非電子ブックでもダウンロードして読んで下さい。

横井軍平社会に出て最初に出したのがウルトラハンド、120万台以上の売り上げでした。蛇腹が伸び縮みして遠隔地のモノを掴みます。な~んだ中洲のBiRodも同じじゃないか。未だ1万台も売れてませんが価格が100倍だから案外いい勝負かも知れないのですよ。

アイパオの話(その30)

2000匹のサクラマス稚魚たちの近況を報告します。2月4日オーノとイワモトの徹夜の搬送で大阪から福岡に運ばれ息絶え絶えだった稚魚たちの今では元気な群泳の様子をご覧願います。

我等開発館にたむろする高齢者チームにNさんという動作が鈍い仲間がいます。大体、職人仲間内では差別されたりイジメに会うタイプですな。ところが手先は鈍いが頭脳はシャープでありとあらゆる技術情報や世間のニュースに詳しい。

最近とみに認知症を自覚させられる中洲にとってNさんの滑らかな舌の滑りが羨ましい。そして何でも解説するのが大好きときている。それもあまりデタラメでもない。

「中っさん。そんな餌のやり方じゃダメですよ。こうやって少しずつ彼らの食い気を誘って餌が底に沈まないようにしなきゃ。メジナの撒き餌と同じよ」「じゃあ餌やりはオマエの仕事だ」それで休みの日以外はNさんが担当する事に。

次に「魚たちの水槽を周遊するスピード見たらお腹の太り具合が分かる」確かに朝一番と午後4時、Nが姿を出すと魚たち狂ったようにマッハ速で泳ぎ始める。200g程の餌が終わる頃には幸せそうにゆっくり泳ぐ。「そこでお終いにする」と。「なるほどなあ。養殖マグロの自動生体管理に使える」

中洲は考える。じゃあ餌の研究始めんといかん。「近くの吉田釣具とイオンに行って片っ端から撒き餌や食材買って来てよ。そしてアンタの魚たちに何が美味いか聞き出してよ。そしたら釣り餌のマルキューの会長に開発製造頼むから」という事でNさんは共生魚の飼育と餌開発担当部長に任命されました。

ところで稚魚たちは既に4倍くらいに成長しています。このままでは直に超過密で泳げなくなる。綺麗なセグチ女史「もう少し大きくなったら間引いて食べましょう」と。滅相も無い、可愛い魚たちを食べるなんて。先ずは共生館第2号を作ってそれから考えることにします。

アイロッドの話(その6)

CP+2019横浜見本市2日目です。

今回のルミカブースのテーマは「宝物探し」

こんな少女っぽい看板に惹かれて1人の男がブースに入って来ました。そしてハタノに耳打ちしておりました。後でハタノが言うに「実は私は河川の河口で宝石(何の宝石かはここでは秘密)を探すのがサイドビジネス。宝探しとBi見逃サーズ。これって僕の秘密を嗅ぎつけたのかと思ったよ。360°水中カメラがあれば川底に光る宝石を簡単にゲット出来そう。是非使わせて貰う。な~に一個見つけりゃ簡単に元が取れるよ」と。

世界一のドローンメーカーDJIとの関係取付に策を講じました。中洲が7年ほど前深圳をウロついていた頃は見本市でも目立たなかったのにご存知の通り現在のDJIは2万人が働く巨大企業。日本にも支社があって多くの日本人がプライド高く働いており中々簡単には商談出来ないのです。

DJI社が昨年暮れにリリースしたオズモポケットはジンバルが付いた超小型スポーツビデオカメラ。すごい新製品で世界の話題をさらっています。このオズモポケットとBiRodがコラボ出来たら面白い。ルミカダイレクトで奮闘中のイシバシが喜ぶだろう。そこで一計を案じたのです。

女性を口説くにはあっと驚かせるプレゼントを用意する事です。ビジネスだって同じ。相手が欲しがるモノを手品のようにサッと出すのです。

オズモポケットの目玉はスマホ接続。ダイレクトは出来ているが有線接続での遠隔操作は未だで勿論防水ケースも完成していない。普通のUSBケーブルでは全く役に立たないのでこの2週間古老ドガワが特殊ケーブルを自作、ヒラタが3D加工で手作りの防水ケースを中洲を喜ばせようと形にしました。

「嗚呼、残念だがまだ動かない」とのヒメノの悲嘆をよそに中洲は執念でこれを動かし会期の間中この遠隔操作に没頭したのです。そして企み通りBiRod4500の先端にオズモポケットを載せHUAWEIのモニターに会場光景を映し出しながらDJIのブースへ参じました。

スローで申し訳ないですがジンバルでレンズが揺れないのとオズモのカメラのシャープな映像をご覧ください。

「あのオズモポケットが竿の先に載って映像が出ている」さあ皆んな大騒ぎ。DJIのブースからは営業と技術の責任者が飛び出して来て「BiRodか!ウチの者たちはドローンよりも便利で凄いって評判だが・・・ウチのオズモがどうしてケーブル操作できるのだ。放送局からも要請があるがどうにもならんかった。それがどうして・・・」

だが喜びは束の間。重大なオズモの欠陥が露呈しました。手元からケーブルで竿先の小さなオズモに給電すると撮影がSTOPするのです。しかも撮影中はカメラの電源がモニターに流れて20分程しか撮影できない。この問題が解決できれば逆に何日でも連続撮影が可能となり強力な防犯カメラが誕生する。オズモの回路とAPPを変更しなければならないのか。難しいなあ。

夕方にはずっとルミカのBiRodを応援して頂いている高松氏がネットに紹介してくれました。

https://creators.yahoo.co.jp/wackys/0300014657

 

アイパオの話(その29)

CP➕2019横浜が開幕しました。ルミカのBiRodがこの見本市で衝撃のデビューを果たしたのは4年前の2015年、今回が5回目の出展でBi見逃サーズの発売開始です。

シトミ達女性陣がブースデザインに趣向を凝らしておりました。勿論惜しみなくお金を使って。アイパオを展示館として使っているのは男共いわく「中洲への忖度」だと。

カメラの見本市なのにアイパオで奇怪なブースをこさえグランピングアイパオ短縮して「グランパオ」もコッソリ提案しました。チラシは前日にイノウエが作図ソフトを器用に操ってグランパオを設計、ミチワキがもっともらしくデザインしました。皆さん本当に器用。

グランパオは中洲一人PRしましたが反応は有りません。だがブースのアイパオは注目されました。特に子供連れは宝物探しに大騒ぎでシトミ達のサービス精神には感心しました。

アイパオの話(その28)

昨日から大連にやって来ております。何度か皆様にご紹介しております旅順の哲人張さんにアイパオの近況を伝えるためです。フィッシングショー2019大阪フィーバーの様子やヒメノさんがセッティングしているサクラマス達のライブ映像をお見せしました。張さんと社員全員本当に我が事の様に喜んでくれます。張さんは自分が命名した魚菜共生を魚植共生に改名して一緒に事業をやろうと大乗り気です。中洲士郎遂に念願の張さんの弟子にしてもらえたようです。

張さんの展示場ではナスが木となって実を付け新たに四川省からやって来た3匹の山椒魚が水槽に佇んでおりました。

哲人張さんとその仲間。後方の魚植共生水槽は本当に水が澄んでます。これから一緒にアイパオ共生館に取り組むことになりました。

この歳になってつくづく思うのは、新しいこと始めるにはいい仲間が不可欠だってことです。世の成功したベンチャー達がそうであるように結局成功のご褒美は大抵着手者1人が持って行ってしまいます。だけどその成功には沢山の熱心な協力者と何より時の運があるわけです。1年前倒しで昨年11月に始まったアイパオプロジェクトでは東京の元気娘のアッコと老兵オーノとイワモトそれに大連の切れ者キンギョとウー無くして1月末完成はあり得ませんでした。そして今度は旅順の大先生、哲人張さんチームの参入です。中洲はただのイカサマ言い出しっぺですが・・・。これから事態はどう動くのでしょう。アイパオで世の貧困対策が始動するのでしょうか。どうぞ皆様も使者サクラマス達にエール送って下さい。