アイロッドの話(その1)

「中っさん。聞いてよ。ウチの父親も困ったもんだ。自衛官退職して好きな事やってるけど最近発明に凝ってね。何かセッピ落としの道具をこさえて商品化したいと言って家族を煩わせるのよ」チンプンカンプンで事の次第を理解するのに時間がかかりました。「親父も」と言う言葉にカチンと来ましたが耳を貸すことに。

先ず彼女の故郷は青森で一浪して高校に入りどこか東京の私大を出て就職して辞めて独立してコンビニフィットネスをやってる事は知っております。その故郷の親父の話らしい。

セッピというのは漢字で雪庇。東北地方の降り積もる雪で特に年寄りが泣かされる。屋根の雪かきは大変な苦役です。 軒先で凍った大きな氷の塊を雪庇と言ってその雪庇落としは危険極まりないらしい。これを落とす為に毎冬幾人もの死傷者が出るとのこと。

そこでこの娘の親父が考案したのが8mの竿にロープを付けて軒先の氷を一気呵成に切り落とすものらしい。その名も「雪庇カッター」

生来の物好きの中洲。「よ~し。ひと肌脱ごう。自衛官だった親父の夢を叶えてやろう」と動きました。

早速中国は威海の釣竿メーカーに当たりますがいい返事がありません。釣竿は韓国企業が強く早くから山東省に進出しております。そこで中洲と同じ頃釣ビジネスを始めて一時は世界最大の釣竿メーカーとなったソヌーと言う会社を訪ねました。中国の青島に大きな工場を構えています。そこの金社長は大層な財を成して昔は貧相な青年だったのが今では風体も中洲より堂々としておりました。

釣竿と言うのは一般に延べ竿だからクランプ付きの丈夫な継竿は面倒で作ってくれません。それに釣り具は何処も斜陽産業で昔の開拓者精神は失せているようです。結局ソヌーにも体良く断られました。そこの金社長、折角訪ねて来た中洲を慰めて極上の韓国料理を馳走します。ブルコギ食べながら「雪庇カッターの開発を諦めるかなあ」と。

しかしあの小娘に「頼り甲斐のない奴」と見くびられるのも癪で大連ルミカのジンユイ社長に相談したのです。彼女は日本で最大手の釣り具量販店の社長室にいました。美人で日本人以上の大和撫子と評判を取っていましたので彼女が一声かけると男どもは直ぐに応じます。日本での留学生時代これも内モンゴルから来た同級生が強く相談に乗ってくれました。

そして僅か3ヶ月で雪庇1号が完成したのです。

青森の素寒貧のこのササヤマ親爺の為に皆さんが骨を折ってくれました。癪の種は独り有名になりたいこの親爺、地元のテレビや新聞に開発したルミカを隠して自分の自慢話ばかりです。

商品開発なら中洲士郎、次々とアイデアが湧いて雪庇カッターの完成度上げるように親父にアドバイスしますが舞い上がって聞く耳持ちません。開発マンと言うのは中洲も含めて皆んな我が強い人種のようです。この親父が分からないのは工場でラインを動かすのに年2~300本では話にならない、この10倍は売らないといけないという事でした。それが新商品開発で苦労するところです。

「何とか別の用途を開発しなきゃ」新規市場開発ですね。そんな時に中洲の長男が帰省したのです。

アイパオの話(その13)

会社の若い男の出勤途中、彼の車のエンジンルームにしがみ付いてやって来て拾われた仔猫、中洲同様生まれ育ちが悪いだけにヤケに生命力が強い親猫に育っております。

その野良猫の「スズ」がしょっちゅう開発館で仕事の邪魔をします。先日スズも交え相棒のオーノ、ヒメノ、イワモト3人を集めて「新型アイパオ」の開発決起集会をやりました。事前に召集令状出していたので着席するや「一升飯喰らいのイワモト」が「世の為人の為ですな」とニヤリ。もうすぐ大連からサンプルが入荷、来年2月までに完成します。大連の張老人の教えを得て「魚植共生パオ」を世のホームレスに住まいと仕事を提供する哲人の道に踏み出すのです。

となると2011年の東北作戦の顛末を手短に書き残して夢の舞台に愛する読者を誘わなければ。

茨城の高萩に取得した新工場にエアーベッドやジャグジーそれに韓国からの軍用折りたたみベッドの類いがコンテナーで茨城工場に届きました。ヒッチハイクで福岡に戻ると直ぐに上海に行って買い付けたものです。これら救援物資と見苦しい五棟のビニール小屋を残されて困り果てた工場のスタッフを後に2011年5月から東北転戦です。

第1戦は岩手県大槌町に救援物資の保管倉庫作りです。5月15日朝4時起床6時茨城工場から遠野に向けてプロボックスという社用車で出発。津波によっていい様に生活の全てを破壊された跡が晴天の中でキラキラしています。気がつくと空中に沈殿する異様な匂いに鼻の粘膜が酷くやられて障害が起っておりました。

大槌町の避難所に入り責任者と協議。風呂が欲しいが「瓦礫の中でも洗い水を下の土地には流せない」と。「この非常時に」とバカバカしくなって退出。

そこの避難所の自慢の小屋(写真)に呆れる。

結局ふれあい広場に作業小屋(移動美容室に落ち着く)を建てることに決定して夜中茨城に帰還。

翌朝4時トラックで再出発。

ふれあい広場では海外からのボランティア10名ほどの手助けがあって日暮れ前に完成(写真)


疲れ果てて宿を探すが何処にもない。結局オーノの運転で4時間、花巻温泉にたどり着く。感じたのは心根優しいボランティア達を受け入れる設備と彼らを大切に思う気持ちが皆無のようでした。現地ではどうしていいのか思いが回らないようです。道端でシュラフに身を包んだボランティア達の為こそパオが必要だと思いました。

アイパオの話(その11)

大震災の支援活動に行くのに「出陣式」はありませんよね。4月14日からは太助庄助士郎の3人は上半身裸で新たに取得した北茨城の工場敷地に秀吉の一夜城に倣っての築城です。

中洲士郎生まれてこの方大概バカをやって来ましたが本件は勝算ゼロ、人生最悪の愚行です。トイレ小屋から始まり風呂小屋、住まい、道具小屋を懸命に建て続けました。

この工場の気の毒な社員たちは以前の雇われ社長のゴルフ三昧で会社を潰され今度の中洲社長は「ご乱心」の様子。皆さん会社の行く末を案じとります。

兎に角異様なビニール小屋を乱立させました。何事もそうやって道が拓けるのだと自分に言い聞かせながら。

由布農園の経験で「トイレは落とし込みに限る」と信じておりました。ところが原発事故同様想定外が起こるのですねえ。ベビーユンボで穴を掘ってパナソニックの様式便器を設えて悦に入って翌朝ビックリ。穴は地下水であふれております。これじゃウンチも出来ません。

写真のようにとっさにドラム缶の上にトイレを作り外からドラム缶を取り出す方式に変えて事なきを得ましたが。何事に付け思い込みの強い性癖が加齢とともに強くなって社内の随所に問題を引き起こしていたのです。この所はブログを書きながら懺悔しましょう。

高萩市の偉いさん方の視察見学がありました。中洲勇躍。アイパオの良さを弁舌爽やかに説明しますが反応は期待外れでした。段々「中洲流遊説術」に自信が無くなってまいります。要は「早いでしょう。安いでしょう。明るく快適でしょう。被災者が自ら建てるのです」それが評価は「安っぽい、被災者を充分に満足させる造りじゃない」です。価値観の違いですね。今度はテレビ朝日の朝の人気報道番組がアイパオを取り上げることに。

あんまり人が驚かないモノを「ねえ凄いでしょう」と言うのも白けるので出演を断りました。代わりにルミカの常務に就いた例のゴルフで会社を潰した社長に代役を頼みました。

テレビをチラリと見たら小屋の宣伝じゃなくて以前の自分の会社の主力商品である「トイレ消臭剤」を宣伝してます。だって彼は全くアイパオなんかに興味がないのです。やれやれ「一夜城作戦」はそうやって失敗に終わったのです。

ところが東北の各地からタダなら建てて欲しいとの依頼が7件ほど舞い込み駆り出されることになりました。猛暑にも突入して難航苦行が秋まで続きます。一方で会社の本体は経営の芯を失い迷走を始めていたのです。

アイパオの話(その10)

7年半前に東日本を襲ったあの恐ろしい津波は日本人の心に到底癒えない傷跡を残しました。日本という地震国では太平洋岸なら10メートルもの高さの濁流が一切合切を飲み込んでしまうことを東日本で目の当たりにしたわけです。地震が午後2時46分じゃなく真夜中なら首都はどうなりましょう。長らく我々の心から厭世気分が消しきれないのは当然です。

今回のアイパオ第10話は「出陣式」の話です。

2011年4月12日いよいよ古賀市にあるルミカ本社の駐車場で仰々しくも東日本大震災支援活動「出陣式」を取り行ったのです。その救援活動の模様を書き残す段になって思考が頓挫しました。何を書いても読み直すと白々しくてブログにアップ出来ないのです。沢山の人達を海に押し流しながらそれらの犠牲を省みていない無為無策を書いては消しておりました。

そんな時に待ちに待った昨日24日の朗報です。約束通り大連金州の相棒からアイパオのプラスチックの柱と梁サンプルが大連新工場に届きました。東北支援出陣式でトラックに積み込んだアイパオは未完成だったようです。それで新型アイパオの開発を目論みました。下の写真のこんなプラスチックで御殿を建てちゃいます。それも3時間の記録を狙って。

この美しい日本で自然災害は避けられません。しかし地震が津波が引いたら家族が揃って空き地に飛び出し建築許可の要らないアイパオを明るいうちに建て終わります。そして日が暮れたら空調の効いた2階建てパオで家族一緒に鍋をつつくという図式でした。「子供達のために黙々と汗を流す昔のオヤジを取り戻そう」と。

それらを期待しての2011年4月12日の東北行でしたがあまり上手く行きませんでした。いや作業の楽しい写真を眺めると少しは成功したのかも知れません。それらを例によって布団の中で色々考えるうちにPVC異形押出成型が閃いたのです。

この「アイパオの話」では東北で経験した苦心談をボチボチ記載しながら今度の新型アイパオの開発模様を実況中継します。東北戦では敗れましたがトラウマを少しでも消して次の自然災害に立ち向かいたいものです。

アイパオの話(その8)

今読み直すとミキさんの国語力は中洲より格段に優っております。論理もしっかりしておりバー・コルで一緒に飲んでる時でも中洲の失言を絶対許しません。だから震災支援活動を論じるのは余程注意しないといけないのです。

そもそも支援活動について彼女とは根本的に考え方に相違がありました。まあ彼女は現地を見てないので衣類や食品を届けるのが一番だと思うのは仕方ない事です。メールでその事を正直に述べております。

じゃあどうやって問題を解くかになると中洲の奇跡のアイデアにイチャモン付けるだけのヒス女(性)ですね。一般的に女性は問題を解くことに男ほどには興味を持たないようです。

被災者には個人のプライバシーが守られる清潔な住まいを災害発生後数時間で届けること。それが文明国の為政者の義務なのだという事を久ノ浜中学体育館での避難民生活から確信しました。

メルトダウンの被害者である沢山の夫婦がダンボールの間仕切りで生活させられておりました。衆目は被害者達のセックスを破廉恥にも公然と奪っているのです。ついでに日本国民を何と礼儀正しく従順なのだろうと自慢しておりました。

こんな事態にこそ三島由紀夫が登場して檄文を差し出して欲しい。そう思ってネット見ると怖いですねえ。滅多なことは言えませんよ。政治もメディアも皆そうです。

然し思い出すのはあの久ノ浜中学での先生や生徒の献身的な立ち振る舞いです。彼らのように危機に際して「今こそ責任を果たそう」との心が持てれば未だ日本には救いがあると思います。

繰り返しますが瓦礫の前で「建築確認申請をすること、させること」が優先されるバカバカしさです。そして一棟300万円の仮設住宅を立てるのに半年、それもルールで一定期間の使用後数百万円かけて取り壊しです。あの合理的なドイツでさえ難民受け入れに同じことをやってます。全て税金の無駄遣いでしかも被災者や難民の神経を逆撫でするだけの上目線でね。

結局大震災の後中洲は半年間走り回っての渾身のアイパオ普及作業でしたが遂に一人の賢者にも出会わず無為に終わったわけです。次に起こった熊本震災で も状況は全く同じでした。皆異口同音に日本は「東日本大震災からは何も教訓が得られてない」と。

じゃあどうすればいいのか思案しました。何事にも不可能はありません。方法を見つければいいのです。無ければ作り出せばいい。

ホームレスを顧客とする「営利事業」を始めるのです。発想を変えれば事業は幾らでも広がることを唯一自慢の後輩の孫正義がそれを世界に実証しています。だが彼が震災直後投じた私財100億円の義援金は一体どこに消えてしまったのでしょう。他に問題解決策が天才孫正義に思い浮かばなかったのでしょうか。もはや「義援金」で問題は一つも解決しないこと、「真のビジネス」にこそ貧困問題を含む諸問題解決の鍵があると断じるべきだと思うのです。

お金の無い数千万もの人々にお金を貸す事業が成功しているのです。考えりゃこれこそ真っ当な銀行業であった筈です。だったら家が無い人にこそ家を売るべき。それが出来れば金持ちの被災者に1日1ドルで家を貸すなど造作もないことでしょう。

巧妙な規則を作ってそれを守らせることを天職と心得るのじゃなく「時代に合わない規制は急いで撤廃しよう。だが現行のルールは守らなきゃいかん。だから一緒にうまい解決策を見つけよう」それが優れた「公僕」でしょう。「DiDi」や「UBER」を白タク呼ばわりする行政に孫正義が遂に噛み付きました。彼のことです。きっと「約10平方米で災害発生から数時間で建ち上がる住まい」開発をビジネスとして捉えるでしょう。

これから何が起こるか読者の皆さんと一緒に期待しましょう。

子供達のためのバス停です。

アイパオの話(その6)

3月14日から出社です。何かバツが悪くて皆んなと会話になりません。大揺れに揺れた東京と違って福岡の連中に地震のすごさを理解しろと言う方が無理です。社内でおおっぴらに犠牲者を悲しむわけにも参りません。今度の24号台風だって「ああ自分の所から逸れた」ただそれだけです。天災なんてものは。

然し実際に大災害の現場を見た者にとってはじっとして居れないのです。早速あのへそ曲がりのイノウエ君に頼んでアイパオ のイメージを描いてもらいました。

イノウエ君が中洲の頼みを明らかに鼻で笑いながらサッサと絵にしてくれました。さあ大急ぎでアイパオの開発です。

それでは皆様にアイパオのいわく因縁を聞いて頂きましょう。iPadでアルバムを開くと先ず大分県は湯布院塚原の不良資産2000坪です。

1998年  取引先の建設会社から高値で摑まされました。それも川底の上一面を茅が覆うひどい荒地です。

1999年から会社の仲間を誘って(強制して)開発開始。オーノ君が中洲の土木建築の師匠になりました。

2005年強風に耐えるか12角形のビニールハウスを作ってみました。何とも不細工です。

2008年改良した屋根構造が特許になります。

2011年震災後大急ぎで準備。12枚のソーラーパネル設置。だがドアを忘れておりました。

ご覧のように福島のK化学買収同様ここでも中洲の無駄遣いからコトが始まっております。だからこの荒地と20年間格闘しているわけです。「週末農業羨ましいですね」と人は仰います。確かに楽しいですが農業とは時間との戦いで相棒の新澤さんは黒板にTODOLIST書いては消しこむ毎日です。草刈りも終わる時には出発点の草があざ笑うように伸びております。アスキーの鶏も越境して畝を作る端から足で壊します。新澤さんはキャベツに卵を産み付ける可愛い蝶々を本気で追い回さなきゃいけません。2000坪はなかなか大変な広さです。

そして又ここは色んな開発の拠点であり人との出会いの場所でもあります。

由布岳の西端からのオロシは強烈で折角建てた最初の5棟の高床式小屋「オヤジ1号」は台風19号で壊滅。この経験から6角形の小屋「SOHO1号」開発で勝利しました。

素人の悲しさ。5棟全部吹っ飛びました。

6角形だと基礎なしでも20年健在です。

強風のためにここ塚原地区にはビニールハウスは一棟もありません。そこでモンゴルのパオに倣って12角形のビニールハウスを開発し生ゴミ発酵菌を研究してRMC35菌を量産、壁構造から棚構造にすれば躯体が強靭になることを見つけてニワトリ小屋に応用しました。これが被災地救援用簡易組み立てテントハウスへ発展したわけです。

中洲はこれを動機不明の芋づる式開発と定義しております。人との出会いも又不思議に商品開発と絡まってくるのです。

アイパオの話(その3)

気がつくと数人の女子中学生が甲斐甲斐しく炊き出しのおにぎり一個と乾パンの缶詰を配り始めます。

驚きました。中学の先生たちと生徒たちの間ではちゃんと段取りが付いていたのでしょう。何時もの練習で試合に臨むかのように淡々と役割を果たしております。悲しみを沈黙に押し込める年老いた被災者たち、日頃の訓練をさらりと演じる先生と生徒たちを先ず観察しました。「これこそ日本人の美徳なのかなあ」複雑な気持ちです。背広にネクタイの今思えば異様な風体のこの老兵にも娘が無言で食べ物を手渡して呉れます。「この年頃になると必ず神様がふっくらと色白に焼き上げてくれるものだな」とその娘にちらりと目を配り食にありつきました。

空腹も覚えず美味くもない飯を頬張り乾パンをかじり終わると少し避難民の気分になって校内をうろつくことにしました。停電はなかったが水道管が破損した水洗便所は溢れた糞尿で大変な事になっています。トイレと言えば夜が更けて校庭に張られたテントの中、ダンボールのトイレで娘達が用を足しているのです。男のように立ち小便とはいきません。自然災害で第一の困難はトイレだと思い知らされました。汚物の沁みた紙トイレの山積みを見るにつけて現代人の策のなさに呆れてしまいます。

地面にサッと穴を掘ってそこにパナソニックの洋式トイレを据え、その周りをカーテンで囲えばいい。用を足したら土をかけるのです。発酵菌が一緒なら糞尿は直ぐに土に還ります。フィンランド人は湖畔で皆そうやってます。

昔ならインデアンの酋長よろしく経験豊富な翁が適切な指示を出し皆は素直に翁に従って被害を最小限に抑えるでしょう。だが「平時の弱虫達が有事になると大声の害虫達」となって何にでも正論のイチャモン付けるのです。至る所でそれを目にしました。彼らは自分の意見が通るのが嬉しいだけで何ら解決案を用意するわけではありません。平時のルールが有事では問題解決の妨げにさえなります。じゃあ一体全体どうすればいいのか。答えは有るはず。その答えをこれから見つけ出さなくてはいけません。

その夜、暖を求めて立ち入った教員室のテレビに報じられる恐ろしい光景はまさに日本沈没でした。遠く千葉の石油コンビナートも火の海に包まれています。この久之浜地区でも42名の犠牲者が出たとのこと。あの土煙の下が阿鼻叫喚の世界だったとは。中洲が乗車した富岡駅も流されてしまったそうです。避難所は沈黙が支配しています。年寄りが多い。幾度と繰り返される災禍の中で地方の人々はその時いつもこうなのでしょうか。テレビの向こうで喋っている行政や報道人との温度差が余りに大きいのです。

行政の第一の使命は人民を災害から守ることと迅速な災害復旧でしょう。良い政治か悪い政治かは災害の時に露呈しますね。会社も経営者も然りでしょう。テレビの向こうは本当に恥知らずのエリート達、それとも経験と知恵が無いだけなのだろうか。だったらこちらから知恵を出してやればいい。災害の時に先ず必要なものは何か?退屈だから校内をうろつきながら思案しました。

それは家でない家。即ち10平方以下の雨風に強くものの数時間で建ち上がる綺麗な家です。空き地にどんどん建ちます。ラーメン屋、集合トイレ、お風呂、二階は子供達の部屋で天井には映画も映ります。ラブホテルも有ったりして。道具小屋も欲しい。しかも価格は躯体だけなら10万円。校庭中に各色のドームが光っているのです。子供達はここがいい、ここに住みたいと。

早速例の害虫たちがやって来ます。「ところで君ィ、建築基準法は通っているか」と。「あなた10平方以下は家じゃない。だから法律は適用されませんよ」「台風が来て小屋が飛んだらどうするんだ」「逃げればいいでしょう。今回の津波に比べれば台風なんてどうにでもなる」

士郎の脳味噌が震え出し例のうわ言が始まり次第に熱くなって来ました。「俺は九州に戻って直ぐに救援にやって来るからな」と。

久之浜中学の体育館で

久之浜漁港。夜通し燃え続けました。

久之浜漁港。壊れた岸壁

ケミホタルの話(その1)

老婆(ラオポ)にとって「赤ひょうたん」はトラウマで近づこうともしません。それが士郎の母親若子が死んで5ヶ月後若子の88歳の誕生日にその若子の店「赤ひょうたん」を士郎が再開してしまったのです。2014年の春のことです。若子鎮魂と言う建前でね。これはその時の物語の一つです。

   赤ひょうたんに4人連れの客があり中洲士郎に幼友達に巡り合ったような親しみの目を向けました。店の飾り窓に白いマーカーペンで「ケミホタルの里」とあるのを見て店に入ったそうです。

「この店、もしかしてケミホタルと関係があるのですか?」何か宝物でも探り当てたかのように嬉しそうな笑顔を士郎に注ぎます。一方の士郎は隠し置いたルアー(疑似餌)の魚信に微かな笑みを漏らしました。勿論好人物らしき4人連れにその士郎の表情の変化の意味をくみ取れる筈はありません。

    全国に釣りを少しでもかじる人の数1200万人位の中で夜釣りを楽しむのは限られます。100万人位としましょう。その人達は殆どケミホタルを知っています。多分このケミホタルが世界に夜釣りを広めたのでしょう。

人間に与えられた楽しみの一つが道具を手にすることと新しい道具を工夫することです。孤独な幼児が竹笛を鳴らして野鳥と会話を始めるように誰しもそうやって道具を手にして人生が始まり短い一生を終えるのでしょうか。

アメリカ自然史博物館、ここをウロつくと人間と道具の関わりが沢山の仕掛けに物語られています。中洲士郎ニューヨークに行くと大抵一日ここで遊びます。連れの女性が博物館散策が好きだったらその人はきっといい女です。

      色んな道具の中で釣り道具は特に面白い。同じ空気中の生き物じゃなく別世界の水中の獲物の姿を想像して捕獲するのですから刺激的だし知恵がいるのです。誰よりも優れた道具が欲しくなります。だから釣り道具にはその時代の最先端技術が詰め込まれているのです。

少々値が張っても、見合う獲物が取れれば道具は直ぐに売れます。面白いことに現代でもナイフで削り出した棒一本が釣りビジネスになるので起業の一大宝庫であります。青春のひと時「一旗上げたい」と思うのは人の世の常、例えその一歩が踏み出せずともです。

中洲士郎もその一人でした。ローレライの妖精の囁き「起業しなきゃアンタ後悔するよ」に乗せられ小舟を手のひらで漕ぎ出してしまったのです。一家の命の支えである毎月の銀行振込がピタリと閉じられる恐怖の世界です。

とにかく漕ぎ出しました。

破滅の予感です!実は自分には人も金も技術もない紛れもない素寒貧でどうしようもないトンマだという認識があったのです。

神戸の港からフェリーで故郷の博多に戻る前のいい加減な独立プランの一つが釣具それも夜釣りの光の開発でした。大それた実現出来る筈のない企画、今思っても背筋が寒くなる舟出だったのです。

生まれ変わっても絶対こんな真似はしません。ああ幸いに人は生まれ変わることがないから安心です。

   そしてその恐ろしい起業の話をする機会を伺って「ケミホタルの里」という疑似餌を仕掛けていたのです。

酔客の一人が目に止めて朦朧とする脳裏に「ケミホタル」と手書きして「ケミホタルだと?」と呟きながら店に入って来る筈でした。

 だが実際に入って来たのは酔っ払いでなく40歳位の女性一人男性3人の真面目な連中でした。皆無類の釣り愛好家だったのです。そして会話が始まりました。

「ケミホタル」の話です。(続く)

ケミホタルの話をしましょう

ずっと出張が続いておりました。昨日大連から成田に着いてビッグサイトでのスポルテックショーに大連でこさえたバンバンライトを展示しました。今日はもうくたびれ果てて着陸した福岡空港からヒメノさんの運転でお互いの棲家二日市に向かっております。

「何とかBi見逃サーズをヒットさせたいなあ。この前の18日からのメンテナス展どうやった?」「こいつは凄い。あんたんとこの会社の株買っとくべきやった。安いなあ。どうしてこんな値段で出せるの?味噌樽の中覗くの大変でね。脚立は危ないし。これなら楽だ。すぐに買いたいな。そんなこんなの凄い評判でしたよ」運転中のヒメノさんの話に疲れが吹っ飛びます。

そう言えば宿題を忘れていたのを思い出しました。ブースに日立のエンジニアがやって来て「こんなモノ出されたらもう参ったな」「すみませんねえ。ウチは釣り道具屋だから竿は得意なんですよ」「会社は初めケミホタルってもの出しましてね」「えっ!ケミホタルだって?僕はその大ファンよ」彼暫くして県庁の釣り仲間とやらを連れてきて「記念写真撮らせてよ。ケミホタルの発明者と一緒のところを会社のブログで紹介するんだ」だって。

そうか中洲士郎はあのケミホタルの発明者なんだ。これってこの前の勲章よりも凄い誉れです。そしてお二人にケミホタルのカタログ送るって約束していたのを思い出したのです。

ついでに明日はそのケミホタルの話の一つを皆さまに紹介させて頂きましょう。

首から吊るしたタブレットには天井裏に隠れたあらいぐまが写ってます。

キホーテに倣って

昨日の朝のMU便で上海に飛び昨日今日とビリビリアニメエキスポを視察しました。ここでのルミカの新コンテンツの確認でした。

世界中の若者たちはSNSで瞬時に情報を共有し逸早く最先端の流行に追い付こうと真剣です。

中国の起業家達も同じく獰猛に獲物を捕獲しております。彼らに貪欲で勇敢な投資家が続きます。孫さんが遂に運輸行政に噛み付きました。米国ではUBER中国ではDiDiが無ければ最早生活が成り立ちません。これを白タクと定義する日本の役人に悲鳴を上げているのです。便利さを知らない日本国民はさほど苦にもしません。しかし最早貴重な収入源のインバウンド達が日本の不便さに黙っちゃいないのです。

規制政策の問題は企業の開発力ひいては国力の彼我にどうしようもない格差が付く事です。既に中国には全産業でどんどん引き離されております。

数年前からニコニコ動画配信が日本に生まれて広がりました。これをパクり違法動画をどんどん吸い込んだビリビリ動画が市場を席巻しているそうです。そして今回の視察がビリビリワールドでした。ドローンも飛び回る物凄い設備の展示会です。そこに未だ未成熟のコスプレ人種数10万人を吸い込んでロボットアーティストが大音響で彼らを教化しておりました。真面目で熱心な若者達が来年にも日本を追い越して世界に新らしいコスプレ文化を広げるでしょう。それがニコニコを瞬時にそして遥かに飛び越えたビリビリのコンテンツなのです。

かと言って企業の劣勢を無策行政のせいにしちゃいけないと思います。世界で日本ほど起業に恵まれた場所は無いと念じるべきです。セレンテビティ精神でルミカは何処にも負けないコンサートの光パワーを確立しました。ウチの連中はオタ芸コンサートという新しいコンテンツを作り上げて世界中に進出しそうです。逞しくも逆に中国企業のやり方をパクっておりました。

となると老兵中洲士郎はヒカリモノを卒業していよいよ「Bi見逃サーズ」で勝負するしかありません。痩せ馬ロシナンテに跨り中世の騎士を模して槍ならずBiRodを傍らに目指すは悪魔の化身の風車です。