青山功夫の話(その4)

船のキャビンでHパワーの面々とビールを飲みながら今後の協力関係を話し合いました。

途中でジュディが自慢げにテーブルで発光液の演出をして見せます。40年経った今日でもこの演出の魅力は変わりませんね。しかしここはイカサマ氏の士郎、面目をほどこす為に船のキッチン戸棚からクレンザーを見つけ談笑の間にこれを発光液に振りかけたのです。

今で言う大閃光を引き起こすと相手の3人が「一体何をやったのだこの日本人は」と驚きます。たくさん情報仕入れて彼らの作戦と実力を値踏みして中洲はロサンゼルスを後にしました。

ジュディからしっかり情報を仕入れてシカゴのマコーミックホールに乗り込みます。ただ心に念じるのはACCとの契約です。開会までに時間があるのでデトロイトのサイリューム扱い商社のキャデラック社を訪問することにしました。これも全くの思いつきでした。

ジュディとの同盟関係だけでは心許ないのでキャデラック社にも保険を掛ける算段です。ACCが相手にしてくれず特許でクレームを受けた時の備え、それに今回の渡米で日本のCYJとの関係が壊れたらサイリュームの別ルートの仕入れ先確保が必要です。キャデラック社は日本にも支社があるので平行輸入出来るかもしれません。応対に出た副社長と熱意が感じられない小1時間の協議でいとまを告げてシカゴに向かいました。未だ第2の保険は掛かっていません。

 ミシガン湖のほとりに聳える大きなH鋼むき出しの勇壮な見本市会場マッコーミックホールでは薄暗い屋内に鮮やかな赤いカーペットが敷き詰められています。東京の晴海の見本市会場など比較にならんこの豪勢な舞台が士郎の闘いの場となりました。

福岡県商工課のブースは展示場の端の方で県内の中小企業6社ほどが参加しました。共同出展社に久留米絣の会社があってそこの美人社長、結構有名人らしく人柄で皆さんを和ませてくれます。だがこんな所でショーケースに品物並べて商談が成立するなど誰も期待していません。まあシカゴで見本市に出したとの話題作りだけが目的のようです。

だが中洲だけは違います。この見本市に会社の命運がかかっているのです。そのギフトショーが華やかな開演と同時に作戦が決まりました。この後のテキ屋稼業中洲流の原型です。その作戦とはこうです。

出品者であろうと来場者であろうと子供を見つける端から光るイヤリングを付けさせるのです。会場内は薄暗いから可愛い耳元が光に揺れます。これを見た別の娘が欲しがって親と一緒に福岡県のブースにやって来ます。福岡県のブースに沢山ゲストが訪れるので思わぬ盛況です。この時の出展の大成功が福岡県の会報に掲載されて商工課の皆さんと久留米絣さんからは後々まで話の種にして頂きました。

会場内に騒ぎが起こります。いずれこの騒ぎがACC他の関係者に届くはずです。「天下のACC社のサイリュームに競合が出現した」とのニュースが昨日訪問したキャデラック社にも届きました。

見本市2日目、前々日訪問したデトロイトのキャデラック社の副社長がもう一度デトロイトに来てくれと頼みにブースにやって来ました。社長が会いたがっているとのこと。それで翌日シカゴからデトロイトに行きここでも「勿論一緒にやりましょう」と中洲愛想を振りまきます。話し合いの途中で別室に連れて行かれたのは会話を録音するためだったようです。意に介せずただ「仲良くやりましょう。何ならミニ発光体で独占契約しましょう」と伝えて相手の気を引きました。だが狙いはあくまでニュージャージーはウエイン市にあるアメリカンサイアナミッド社。ここを攻略する為に周りに火を付けるのが中洲の作戦でした。多分シカゴのニュースがACCに伝わる筈だと確信しました。

見本市が終わりニューワークに飛びホリドームというホテルでACCに電話を掛けて待機します。翌日ホテルのオペレーターが電話を繋いできました。

電話の主はヴァンキャンペーンというサイリュームの国内販売担当者です。

「会おう、来社するように」という電話です。

この後日本のACC子会社CYJから電話が入りました。販売担当の大林さんからです。「士郎さんやるねえ。アメリカに行ってるんだって。今会社は大騒ぎよ。ACCからイマワキ社長怒られてるんだって」と。

始まりました。もう後には引けません。

青山功夫の話(その3)

東欧からやって来た美女ジュディー・ウオールデンの話から化学発光ビジネスの源流をたどってみます。

中洲士郎と同じく1979年怪しく光るロープを操ってキャミソール姿でパフォーマンスするブロンド娘がハリウッドで話題になりました。

夜毎ロスの遊園地に出没し踊った後小脇の50cmほどの細長い光るロープを1本5ドルで見物客に売り捌き姿を消すのです。

セールスの基本は洋の東西を問わず対面販売なんですねえ。幾らアマゾンが勢力張ってもデパ地下での調理器の対面販売は無くならないでしょう。暑い夏の夜祭りには何処でも威勢のいい「寅さん」が不可欠です。「おしん」と同じく貧困から抜け出そうと世界の若者が遊園地で物売りを始めます。売れる商品を掴んだらそれをテキ屋達に卸して利益を蓄えて起業する訳です。

中洲の仲間内で成功者と言えば米国ニューポートでケネディ家の隣に別荘を構え自家用ジェットを駆るボブノワックです。ポーランド人のボブの場合は理系のカレッジを出て直ぐにACCと談判してサイリュームを夜店で扱って財を成しました。「利は元にあり」を地で行ったわけです。一方ジュディは悪い男どもに翻弄されて成功出来ませんでした。「びっこのアヒルの群像」を一緒に見て参りましょう。

そのジュディの冷たく緑に光るネックレスがヤンキーの好奇心を引きつけ飛ぶように売れ始めました。当然ながら獲物を探すマフィアやストリートベンダー(日本でいうテキ屋)の目に止まります。起業家への夢を追う貧しいルーマニア移民の娘ジュディーとこの事業を横取しようと企む血走った眼の狼どもと熾烈な闘いが始まろうとしていたところに変な日本人が光るイヤリングを懐にノコノコとやって来たわけです。

中洲達はサイリューム6インチをバラしてミニサイリュームに作り変えました。ジュディのは光った液を柔らかい透明チューブに移し替えて冷凍保存して一時的に光を止める方法です。

ディズニーランドは特製の冷凍庫を用意して園内で販売を始め子供達の人気商品に仕上げました。

ところがサイリューム6インチが思うように手に入らないからジュディは頭に来ていました。「民生用最大の顧客なのに何故冷遇されるのだ」と。

それは士郎にとっても日本に居て感じます。だから「利は元にあり」と根っこのACCと関係を築こうと無い金はたいて米国にやって来たのです。ジュディに招待されて彼女の持ち船リクィッドライト号が夜のロス湾を周遊する間彼女の憤りに相槌を打ちながら原液をACC以外から入手する企てに作戦が及びビックリしました。偉大なACCを敵に回すなど考えられない事ですが世の中既に動き出している事を知らされたわけです。

ジュディの話ではサイリュームを扱うデトロイトの商社、キャデラック社とシカゴの夜店の元締めケミカルライトのマイクシュライマーが結託してジュディを干し上げようとしているらしい。

キャビンにはホランドと名乗る金ボタンの黒いジャケットを着たヒゲの濃い「いけすかん男」が一緒です。ジュディが「婚約者よ」って紹介しました。後で知ったのはこのホランドは本当に悪いやつでした。バーテンダーをしていたバーに仕事疲れのジュディが小脇に光るロープの束を抱えて入って来たのです。閃くものがありこのライトロープビジネスを手に入れるためにジュディをモノにしました。ジュディの会社に入り込むや小切手を乱発して会社を財政危機に陥れたそうです。大きく羽ばたけた筈の娘が事の初めにこんな男の手に落ちるとは。人の事は言えません。日本化学発光もはした金で危うく命を落とすところだったのですから。

ハリウッドパワーの製造設備はフランスからやって来たルークノーエルが立派にこしらえてジュディを助けていました。フランス青年のルークノーエルはジュディを好きなようです。

 一方フランスではパリでポールノーエルという老人がサイリュームの発明に触発されて自分もこれを作ろうと考えました。「な~に、ヤンキーに出来ることなら自分にも出来る筈だ」と。フランス人の対抗意識です。これを長男のエリックノーエルが引き継ぎベルギーのジャックレジデンスキー(名前の通りロシア系の化学者だ)と組んで原液の開発に取り組んでいました。父親ポールは次男のルークをジュディのもとに派遣して米国での販売拠点を作ろうとしたわけです。

お分かりになりましたか?1981年当時化学発光のビジネスを俯瞰すると大親分のアメリカンサイアナミッドを頂点にして「イケメンに弱い小娘ジュディ」ー派、フランスでサイリュームとの競合を企てる「本格派ノーエル」一家、ACCに取り入って起業する「正統派ノーワック」組、それと日本の「びっこのアヒル中洲」軍団です。

ジュディの話ではサイアナミッド社にも協力してくれる化学屋がいるらしい。分かったことは熾烈な原液獲得競争が始まっていた事です。だが何があっても開発者ACCに誠意を尽くすのが我々日本人が共有する商売の道義なのです。だからジュディと手を組む道は先ず無いだろうと思いました。

振り返ると「目先の利」を追った連中は結局敗れ去って行きました。

後に「ケプランの話」で登場しますが巨艦ACCを倒した弁護士のケプランは「象を飲み込んだワニ」として中洲の宿敵となりました。これも理論通り「飲み込んだ象を消化出来ず」可哀想に今は「立ち上がれ」の声が聞こえない境遇なのです。

この章は「青山則夫の話」でした。これから縷々お話ししたいのは凡人中洲の目で見る青山の超越した頭脳と文藝と心中せんとする潔癖性。一方で蔑む民間事業を覚悟が無いまま真似してシジフォスとして潰えて行った1人の男の物語です。中洲にはこれを描き出せる自信はありませんが挑戦してみますね。

 

青山功夫の話(その2)

常宿は芝公園の中の小さな山要荘という安旅館にしました。使用人の婆さんが親切で中洲を気に入っていつでも泊めてくれます。

東京営業所の名刺も出来ました。事務所で最初に手掛けたのは光るイヤリングの開発です。釣具以外に営業の柱が必要です。バルジンの取引先に頼んだら早速12種類もの各種デザインのシリーズが出来上がりました。何と便利な間借り先でしょう。新しい商標も必要です。結局「STARLITE」を玩具ノベルティ向けの名前としました。

ある時青山先生は背を向けて東京理科大学で英文学の講義の準備中でした。綺麗なチーコさんが「そうお。中洲さんアメリカに独りで交渉に行くの。じゃあ英語喋れるんだ。凄いね。青山は英文学者のくせに全然喋れないのよ」背中に目があるのか青山先生「中洲くん。Undertakerって何だったっけ」試して来たのでしょう。「葬儀屋でしょう。スティーブンソンの宝島の初めに出ますね」たまたま思い出して答えたら何だか白けた空気になりました。チーコさんを挟んで青山との対決も始まるようです。いや中洲は既に光るイヤリングの商品開発で理屈過多の青山に違いを見せて挑戦していたのです。

そんな中で中洲は寄らば大樹の陰、ここは世界に先駆けて化学発光原液を権利者である米国ACCと米国政府から獲得しようと企みました。分かっているのはニュージャージー州ウェイン市にある米国ACC社の住所と電話番号だけです。日本で言えば旭化成クラスの巨大化学会社に紹介もなしにどうやって乗り込むかです。 

一つ耳寄りの情報が入りました。ロスにハリウッドパワーという女性社長の会社がサイリュームの光るロープを売り出したというのです。そのロスの住所を聞き出し出来たばかりのスターライトイヤリング12個セットをプレゼントとして送りつけました。女社長のジュディからのお礼状には「ミニ発光体の開発成功おめでとう」とあります。これも中洲流営業の一つで「新製品贈り付け作戦」です。案外時間が経っても効果がありますから覚えておいてください。

折しも福岡県が県内の中小企業にシカゴでのギフトショー共同出展を募って来ました。これに中洲は閃きを感じ、取り敢えずこれを利用することにしたのです。出来たばかりの光るイヤリングとケミホタルのサンプルの輸出も全て県がやってくれました。他社のカタログの外国人モデルの写真の耳に光るイヤリングを付けて写真に撮ってStarlite Earingなるインチキチラシも同梱しました。

化学発光を取り巻く諸般の事情に明るくなってきた青山先生どういう訳か中洲の米国行きに異を唱え出したのです。「小型化は立派な発明だ。米国におもねる事はない」と。全てに純粋思想の青山は揉み手を擦っての商売が全く肌に合わないようです。早くも中洲と青山との間に不穏な空気が漂い始めての渡米決行でした。

シカゴの見本市開催日よりも4日早く米国に渡りました。機内でダメもとでロスのハリウッドパワーを手始めに料理することにしました。飛行機の中継地アンカレッジ空港の公衆電話で番号を調べアポイントを取ることにしました。25セント硬貨がドンドン減る間に用件を伝えるのに汗だくです。

皆さまお分かりのように中洲の辞書には用意周到なる単語は有りません。兎に角出たとこ勝負です。飛行機が出発して作戦を考え始めました。中洲の英会話なんて本当にいい加減なモノです。喋るのは頭で英作文して相手が分かればOK。聞く方は相手の単語2、3個で相手の意図や状況を推測するのですから大抵的外れです。今回もジュディは大韓航空で渡米して来るから中洲を韓国人と思っていたのです。

兎に角ロスに着いたらハリウッドパワーを訪問する事。そしてシカゴのギフトショーに出展する事最後にACCに乗り込んで原液供給交渉を始める事に筋書きが決まりました。

大韓航空機は巨大なロサンゼルス空港の隅の汚いターミナルに到着します。

青山功夫の話(その1)

さあそれでは諸君一緒にアメリカに渡って米国政府が門外不出とした化学発光の原液をせしめましょう。何事も為せば成る。成らねばイカサマして為そう。

1981年7月28日大韓航空機KE012便はソウルからアンカレッジ経由でロスへ向かっております。

行く手に地球の稜線がオレンジの弧を描き機体が徐々に高度を下げると夜のとばりが降り始めたロスの街並が美しい光の格子で輝いているのが目に入りました。午後9時40分士郎37歳になって遂に渡米の夢が実現したのです。

この時の大韓航空機は使い回しのオンボロで機内は移民で溢れかえりキムチの匂いと赤子の泣き声が夜通し続くエコノミーというより難民クラスと言うべき客席でした。しかし士郎は感激で震えが止まりません。それは未知の米国で始まる戦いの前の武者震いでありました。

 それでは先ず何故この時期米国行きを決心したのかをお話します。

会社には使える金が80万円しかありませんでしたが、これを全部持ち出しました。動機は会社があるうちにせめて一度でも憧れの米国を見ておこうと考えたのです。前の会社では遂に一度も海外に行かせて貰えませんでしたから。

釣具市場で人気が出てきた化学発光体に対して「あれは特許違反だから長くは続かない」などとの大手メーカーの声も聞こえてきます。

サイリュームから液を抜き取るのは問題になりそうな気配がありました。1979年だけで1万本80年には3万本もバラし81年には10万本の勢いです。

日本の突出した売り上げが米国ACC社の興味を引きます。

「自社製品から原料を取り出し製品を作り替える行為の法的問題」を半分面白がって検討始めたようであります。(危険な予感がします)

一方で日本のACC子会社CYJは奇妙な利益を生む日本化学発光の存在を本国に隠そうとしていて士郎が米国と直接原液交渉するのを禁じております。従って今回の中洲の渡米は危険な賭けでした。

直に我々と同様の手口でサイリュームをバラし類似品が出回るでしょう。CYJが中洲だけを応援するという保証はありません。現にこの2月、東京のみやこ釣具商会から「ちびピカ」の名前でコピー品が釣り具市場に出現しこれを退治しようと戦っている最中です。

色んな騒動の中で2年目の日本化学発光は釣り具市場での売り上げを急拡大させます。矢張り大島商会依存は危険ですので釣り具以外にも販路を拡大する必要があります。そこで東京進出を決めました。金も社員もないので何処かの事務所に間借りしようと都内を歩きます。虫のいい話だから何処からも色よい返事が貰えません。そして結局渋谷の青山の会社バルジンに吸い寄せられたのです。

山手線沿いの粗末な3階建の山手石炭ビルです。2階の事務所には中年の男1人と女性2人それに居候が1人都合5名。3階は工場になっております。ものの5分間の話で間借りの話がまとまりました。社長の青山の部屋はフロアの半分を占めグルリ取り巻いた書棚には裁判の判例集が並び大きな机に背もたれの付いた回転椅子です。みんな青山を先生と呼びます。仕方なく中洲も先生と呼ぶことにしました。(雰囲気から誰でも間違いなく青山を弁護士先生と誤解する筈です)

銀座の英國屋の高級スーツに身を包む青山教祖に合わせて皆しっかり身だしなみを整えております。ここでは気高い精神性に縁どられた文藝の世界が主で「やっぱりお金」の卑しい現実世界はドアの向こうに隠されています。会話には洒落たウイットが常で毎日の食事は2人の女性が甲斐甲斐しく準備します。アルコールが全くない何事につけストイックな不思議な舞台です。終業は大抵夜10時です。

世故に長けた者ならばこれを見て即座にいかさま師の集団と断じたでしょうが未だ駆け出しの商売人中洲士郎は怪しむより崇高な世界にすぐに引き込まれました。破産者の青山集団のアジトに中洲鴨がネギを背負ってノコノコやって来て親しい仲間に加わったのです。