島らっきょう物語

中堅量販店の副社長の来社がありました。ルミカライトの取り扱い要請でしたが、話はBiRodと360°USBカメラで俄然盛り上がる。駐車場に設置して顔認識ならず車認識する話に。その会社ではレジの無人化など店舗合理化で最先端を走っているので、中洲のカメラ妄想をよく理解してくれた。今後は安価で単機能高解像度カメラの需要は桁違いな数量になるでしょう。その一方で市場が細るばかりの複雑高額化へ走る日本のカメラメーカーの市場撤退のニュースが哀れです。 一言で言えば「日本ではトップが仕事をしていない」

今日は昨日お伝えした「島らっきょう健在だった」から更に詳しいラッキョウ物語をお伝えします。
話は2016年8月2日の日報に遡ります。

8/2今日のトピックは何と言っても島ラッキョウ。あの強烈な匂いに参る向きも多いが数年前のブログを蘇らせて島らっきょうの話をしよう。

先ずグーグルで「島らっきょう」を紐解くと。
「産地は沖縄県伊江島や糸満市。赤土を好む。多く含まれるアリシンが強い匂いの元でビタミンB1の吸収を助けアデノシンが血液をサラサラにする」とある。


古賀の開発館の畑の膝下が短い初期の島らっきょう。未だ美味くない。

「これ、家で食べな」とオヤジがカウンター越しに寄こしたのが運命の島ラッキョー。細ねぎのような葉と縮れた白い根が付いて20本程あったろうか。もう10年も前の事です。

我が由布農園(由布岳の北面に広がる塚原高原にある会社の不良資産。中洲士郎10指に入る失敗物語の一つ。いずれ涙の物語しましょう)を出て夜は真っ暗闇の杉木立を抜けた先に、裸電球に揺れるちっぽけな沖縄食堂(ゆいまある亭)がありました。

そこの亭主がその島らっきょうのオヤジでした。
7年前に幽霊になってしまったが今も少しだけ寡婦の背中で生きています。

農業をやっていると貰い物が多い。根付きというのは時に厄介だ。捨てる事が憚られるのでそこかしこに植えられていつのまにか農園は貰い物がばかり。それに家のラオポの庭から間引かれたハンパモンが我がもの顔でのさばっている。そのくせ「だからアンタの農園はまとまりが悪い」とラオポがいつもくさす。

ミョーガ等は物凄い。「竹のや」の親爺に狭いスチロール箱で虐待されていたのが我が農園に貰われるや、どんどん縄張りを広げて毎夏バケツ10杯程の恵みをくれる。


発泡の小箱一杯から始まった。新澤さん手入れの見事なミョウガ畑。


これこの通り毎年見事な収穫。

さてこの島ラッキョー、食べるの止して育てようと決めたが何しろ農園は標高800メートル。沖縄育ちには冬が越せまいとビニール小屋に植えて忘れていたら翌年6月頃1本の苗に10個位子供が付いていた。これも食するのが惜しいからと今度は外の畑に植えたら気候にも順応したのか増え続けた。3年目から半分食べて半分畑に残していたら今では苗の数はなんと10万本! 苗床で苗が根を張って植え付けの順番を待って喧嘩している。週末農夫では時間が足りない。


問題の農園のビニールハウス。最年長の孫。可愛かったなあ。

あの美味い島ラッキョー、捨てるに惜しいので会社の裏に真砂土を運んで畑を作り今も植え続けている。だが諸君農業は実に奥が深い。その後沖縄で本物の島らっきょうを食する機会があった。人間も美人とそうでない違いの一つは膝下数センチの差にあるらしいが島らっきょうも中洲士郎のそれと違って本場物は白い膝の下がスーッとセクシーに伸びている。偽物は歯触りもコリコリするだけでピリピリ味にも深みがないことが分かった。3年研究を重ねた。

そして根菜類が熱愛する乳酸菌類の培養に辿り着いた。(この菌のことも追って詳しく紹介しよう)最早故郷の伊江島育ちに負けない「島らっきょう」が増え続けている。島らっきょうは血液サラサラの効果だけでなく、ラオポ曰く「私はダメ。お通じはいいタチなのにこんなの口にしたらトイレが近くて敵わん」と。


乳酸菌と美人になった島らっきょう


レシピの紹介
この小さなラッキョーの皮むきは大変。
シャキシャキ感はこの作業で決まる。
粗塩を振って暫くおいて軽く塩を落して削り節に生醤油が一番。変わり種ではマスタードオイル,ドレッシングとみじん切りした塩昆布。博多めんたい和えもいい。天ぷらも定番。凄く体にいいらしいから来年あたり干してサプリメントを開発してみよう。痩身に絶大な効果があったりしたらどうしよう。

それでその島らっきょうが何故今日のトピックかと言いますと。昨日突然大型のパワーショベルが開発館の横の空き地を削り始めたのです。島らっきょうの隠し畑でした。(注記:横の土地は古賀市所有)大変です。

作業のオヤジを開発館に招いてコーラをご馳走して頼みました。「花の苗が埋まっているので今日は表面をユンボの爪でごちょごちょだけやってくれ」と。

そして今日は帰郷した小3の孫を連れて8:30amから島らっきょう救出作戦を敢行しました。野良着姿で出勤中の愛車CRZの中で孫に「作戦」伝授。「じいちゃん作戦、作戦って何か戦争みたいだね」親愛なる開発館の同志3人の加勢を得て30分で作戦終了。

中洲士郎作戦相棒。次女2番目の子供です。

終わったら今度は孫にドガワ爺さんから電動雲台で電気の演習を授け更に遠賀でアリヨシから化学講習だ。孫と楽しい1日でした。