ケミホタルの話(その18)

装置の置き場にも窮し隣のアパートも借りました。ガラスアンプルの製造が始まってケミホタルは一貫生産体制となったのです。

アンプルの首が数ミクロンと極細になっているのは酸化液には過酸化水素が含まれるので発火し易く溶封が難しくそれでガスで一瞬に溶封する為に首を細くしているのです。じゃあどうやって酸化液をアンプルに詰めるのか?真空置換です。常識といえば常識ですが注入後の遠心分離やピンホールの選別も含め課題と方法模索の繰り返しでした。

どんな発明も現物を見れば必ずコピー出来ます。この可燃性液体を封入する超小型アンプルの世界最初の発案者は有田の3人の技術チームでしたが結局彼等には栄誉と報酬が付与されませんでした。いつか機会あれば彼ら3人を讃えたいものです。

極小アンプル製造に携わり先ほどのピンホールフクシン検査も含め会社には沢山のノウハウが蓄えられこれが競合の参入を防いだのです。先発者は先に失敗して問題を修正できますがコピー者は秘密の罠で市場からシャットアウトされるのです。「やっぱりケミホタルや」となりました。

次は大島型のケミホタルから新しい形状への挑戦です。ここは専ら士郎の役割でした。化学液と反応して使えない筈のナイロンチューブを特殊な前処理を施すと使える事を発見し、そのチューブの両端を丸く溶封してワンピース成型にするという誰も思いつかなかった成型方法を開発しました。

サイリュームの発明者のローハット博士もこの成型方法をいたく褒めてくれました。これが現在の世界中の細物発光体の定型となっております。

ぎょぎょライトが完成しました。

相場の格言に「人の行く裏に道あり花の山」とあります。技術開発もそうです。定説であっても疑うか検証するかが必要ですね。

ぎょぎょライト開発は小さなチャレンジでしたが、その頃中村修二さんが日亜化学で青色LED開発でまさに裏道を悪戦苦闘し登っています。その行く手にはノーベル賞が待っていたのです。

さあこの新型ぎょぎょライトを武器に勝利を収めるのです。

ここで当時の会社経営状況を分析してみます。日本化学発光は士郎同様出生に問題がありました。嫡出子じゃないのです。起業とはまず投資家即ちステークホルダーが存在するが日本化学発光ではそこが不明でした。一応資本金300万円ですが原資は大島から粟本に裏で渡された500万円から出ています。その株の大半は栗本とその親族が所有。となるとそれは株主個人の借入金です。

だから士郎は栗本に自分の株の代金15万円を返済しました。(実際はルミナスプロジェクト経費30万円との相殺です)

営業面では大島が仕組んだケミフロート抱き合わせ販売でケミホタルの売上が伸びずパートの給料支払いにも窮しております。保証協会を通してもメインのS銀行は僅か300万円の融資も引き受けてくれません。

滅多に出社しない栗本を捕まえて大島から受け取った金の返済を問うと「返す筋合いはない」独占販売の理不尽を問うと「大島には少しだけ売らせとけばいい」これでは近いうちに問題になるだろう。大島のことだ。栗本を脅すことが起こるかもしれない。ここはどうする。

新しい会社を立ち上げるのはどうだろう。

このような状況ではそう考えて当然だが士郎には不思議とそのような選択肢が起こりません。本能的に「錦の御旗」を担ぐ方を選択します。打算的な選択とも言えます。

ここでは日本化学発光を守るのが正義となると思いました。

そこで事はこう言う具合に進んだのです。

大島に対して現状では会社が存続出来ない。大島の販売能力、販売方針ではケミホタルの普及は難しい。改めるべきだ。それに対して大島は栗本との間で交わした証文をちらつかせます。そこには500万円でケミホタルの販売権を買ったとあるのです。

「実は大島、今度新しい発光体ぎょぎょライトが完成した。それは全ての浮子に取り付けられるし漏れの心配が無い構造だ」大島顔色を変えます。

次に卑屈な笑いで「ちょっとそれを見せてくれないか」

細長い澄んだ飴色の美しい外観から緑の光を発し大島それに見惚れました。

「近いうちにその生産ラインを栗本に開示して彼の反省を促す。それまで他に漏らせば争いが起こる。だから他言は無用だ」と

中洲士郎が大島に釘を刺すが・・・

ケミホタルの話(その15)

1979年2月の東京釣具見本市でケミホタルが派手にデビューしました。             これは即ち日本化学発光中洲士郎と大島商会大島東一の対立の幕開けです。

大島からすれば栗本に500万円渡して釣具向け独占販売権を持つので士郎の販売での出しゃばりは好ましくありません。それに最初のケミホタルの形状は大島の希望を容れてロケット型で底に差し込み口が有ります。佐賀の福昭工業という成型屋で専ら士郎が立ち会って金型を作りプラスチック成型を行ったものです。

このような場合、金型代は依頼主の大島が支払う代わりにケミホタルは大島以外に販売できません。

だが姑息なことに大島は6種類のケミホタル専用浮子「ケミフロート」を発売して釣具店にはケミホタル単品販売を禁じたのです。

これはどんな浮子でも夜釣りが出来るとの謳い文句に反し市場からブーイングが起こりました。大島からすれば早く投資を回収する当然の手段だとして市場の声を無視します。おまけにケミホタルの穴にケミフロートを差し込む仕様ですからケミホタルの底を浮子が破って液が漏れるクレームが多発しました。

浮子を投ずると海面が漏れた液で光って「漏れホタル」と揶揄される始末です。最初の勢いはどこに消えたのかピタリと売れなくなりました。

そんなこんなで大島からの注文が全然伸びず経営は苦しくなるばかり、会社の資金は底をつきパートへの給与も払えません。栗本は会社に顔を見せなくなりました。大島の奴、敢えて中洲を窮地に落とし込む算段です。

これはヤバイと浅草の玩具の問屋を回って西多さんの所で夜店の水風船にケミホタルを入れて水チカホタルと命名して発売しました。注文は僅かでしたが大島を経由せずにここから夜店向けの販売が始まりその後のテキ屋相手の大太刀回りへと繋がっていきます。

しかし釣り人が別のところで人気を作り始めたのです。魚釣りじゃなくて丘釣りです。場末の所謂ピンクサロンでホステスの下着にケミホタルを入れて遊ぶのが流行りだしました。

実際中洲士郎と藤本二人で北九州は黒崎のピンサロでそれをやったらもう大受け。士郎調子に乗って暗がりでケミホタルを口に含んで「ニイーッ」とやるとホステス達に馬鹿受けしました。

さてさて中洲士郎第2の危機栗本編の最中、第3の大島危機までもが予感されるようになり対応上、中洲士郎はガラスアンプルの自作と新型発光体の開発を目標に据えたのです。

これを士郎は「ぎょぎょライト作戦」と名付けて行動を開始します。

ケミホタルの話(その1)

老婆(ラオポ)にとって「赤ひょうたん」はトラウマで近づこうともしません。それが士郎の母親若子が死んで5ヶ月後若子の88歳の誕生日にその若子の店「赤ひょうたん」を士郎が再開してしまったのです。2014年の春のことです。若子鎮魂と言う建前でね。これはその時の物語の一つです。

   赤ひょうたんに4人連れの客があり中洲士郎に幼友達に巡り合ったような親しみの目を向けました。店の飾り窓に白いマーカーペンで「ケミホタルの里」とあるのを見て店に入ったそうです。

「この店、もしかしてケミホタルと関係があるのですか?」何か宝物でも探り当てたかのように嬉しそうな笑顔を士郎に注ぎます。一方の士郎は隠し置いたルアー(疑似餌)の魚信に微かな笑みを漏らしました。勿論好人物らしき4人連れにその士郎の表情の変化の意味をくみ取れる筈はありません。

    全国に釣りを少しでもかじる人の数1200万人位の中で夜釣りを楽しむのは限られます。100万人位としましょう。その人達は殆どケミホタルを知っています。多分このケミホタルが世界に夜釣りを広めたのでしょう。

人間に与えられた楽しみの一つが道具を手にすることと新しい道具を工夫することです。孤独な幼児が竹笛を鳴らして野鳥と会話を始めるように誰しもそうやって道具を手にして人生が始まり短い一生を終えるのでしょうか。

アメリカ自然史博物館、ここをウロつくと人間と道具の関わりが沢山の仕掛けに物語られています。中洲士郎ニューヨークに行くと大抵一日ここで遊びます。連れの女性が博物館散策が好きだったらその人はきっといい女です。

      色んな道具の中で釣り道具は特に面白い。同じ空気中の生き物じゃなく別世界の水中の獲物の姿を想像して捕獲するのですから刺激的だし知恵がいるのです。誰よりも優れた道具が欲しくなります。だから釣り道具にはその時代の最先端技術が詰め込まれているのです。

少々値が張っても、見合う獲物が取れれば道具は直ぐに売れます。面白いことに現代でもナイフで削り出した棒一本が釣りビジネスになるので起業の一大宝庫であります。青春のひと時「一旗上げたい」と思うのは人の世の常、例えその一歩が踏み出せずともです。

中洲士郎もその一人でした。ローレライの妖精の囁き「起業しなきゃアンタ後悔するよ」に乗せられ小舟を手のひらで漕ぎ出してしまったのです。一家の命の支えである毎月の銀行振込がピタリと閉じられる恐怖の世界です。

とにかく漕ぎ出しました。

破滅の予感です!実は自分には人も金も技術もない紛れもない素寒貧でどうしようもないトンマだという認識があったのです。

神戸の港からフェリーで故郷の博多に戻る前のいい加減な独立プランの一つが釣具それも夜釣りの光の開発でした。大それた実現出来る筈のない企画、今思っても背筋が寒くなる舟出だったのです。

生まれ変わっても絶対こんな真似はしません。ああ幸いに人は生まれ変わることがないから安心です。

   そしてその恐ろしい起業の話をする機会を伺って「ケミホタルの里」という疑似餌を仕掛けていたのです。

酔客の一人が目に止めて朦朧とする脳裏に「ケミホタル」と手書きして「ケミホタルだと?」と呟きながら店に入って来る筈でした。

 だが実際に入って来たのは酔っ払いでなく40歳位の女性一人男性3人の真面目な連中でした。皆無類の釣り愛好家だったのです。そして会話が始まりました。

「ケミホタル」の話です。(続く)