ケミホタルの話(その10)

    1978年6月陶工へのはかない夢を捨てて世界初小型化学発光体開発に起業をシフトします。その名もルミナスプロジェクトです。

3月に福岡市天神の酒井ビルに「貸し机業」の会社、天神商工センターを見付けて契約していました。机と電話それに受付代行付きで月額25000円です。そこの女社長、6月から机無し(即ち立ち話で)の条件で快く月額15000円にまけてくれました。この手の職業人は大抵素寒貧のテナントの内でどいつが起業の夢を果たすかの予想を楽しんでいるフシがあります。

小石原を諦めてからは午前中は商工センターで何となく仕事をし次に赤ひょうたん2階で100個程の握り飯を作ってタバコ屋に並べ若子の居酒屋の手伝いをして夜中2時帰宅の生活が続きます。

失業保険受給も終わり握り飯で稼ぐ月5万円ほどの収入もルミナスプロジェクトに喰われ資金が底をついてしまいました。

 丁度その頃運命のケミホタルのサンプルが上がって来たのです。生産の様子は分からないが殆ど栗本の手作りでしょう。

それにしても大したものでサイリュームを50分の1にまで小型化出来ることを証明した栗本の功績は実に大きいのです。

そこで栗本を世に出すのを自分の使命にしようと士郎が心に決めた矢先の11月、前触れなく日刊工業新聞に大々的に記事が掲載されました。

栗本の常套手段です。

「有田のF社の栗本氏世界で初めて小型化学発光体を開発」との見出しが踊っています。だが記事の内容は事実と全く異なっていました。

「発明元のアメリカンサイアナミッドの技術を凌駕する発光性能」もう無茶苦茶です。

ルミナスプロジェクトまで載せられています。

大変なことになりました。これはもうイカサマでなく詐欺です。問い合わせがどんどん壁際に置かれた電話機に掛かってきます。品物なんかありゃしません。   サイリューム製品をバラして数個のサンプルを作っただけです。

そもそも工業化するのに未だ肝心の原料が手に入っていないのです。しかし中洲士郎も栗本と同じく根がイカサマ師。資金も底をつきここはもう開き直るしかないのです。失うものがないと思うとこの危機も少し小気味良く感じます。

この時の経験が自分を危機に追い込んで解決を模索するというその後の12件の危機にパターン化されてしまいました。

さあ原液獲得を急がなければならない。数個だが実際に超小型発光体が生まれたわけで上手くすれば大きな市場が手に入ります。

前回申し上げたように中洲士郎達が思いつくこと位は世界中で沢山の連中が考えています。まずいことに新聞記事を見てもう誰かが既に生産に取り掛かっているかもしれません。急いで日本サイアナミッドに掛け合ったがアメリカ側は絶対原液は出せないと言っているとの返事です(国防省との共有特許で技術も原料も門外不出だと)。

名古屋大学の化学発光研究の第一人者神田教授に頼んでも今の日本の化学技術では到底合成出来ないと断言します。これは小型化が出来ない事が証明されたも同然。そうであれば素寒貧の日本化学発光にも勝機があるのです。

栗本は焦って士郎に対して「中洲は英語出来るんやろ。サイリュームの発明者ローハット博士を買収し原液を入手しろ」と抜かします。この提案を鼻から無視して日本サイアナミッドから6インチ製品の購入を開始して栗本にサンプル生産の数を増やすように指示しました。栗本は何としてでもアンプルを量産しようと会社の同僚3人に独占を条件に開発を依頼したようです。

中洲の懐は更に苦しくなって来ます。

後で娘が言うのには小学校の積立預金迄引き下ろしたらしい。こんな状況なのに中洲は老婆(ラオポ)に家の残金幾ら残っているかを確認した記憶がないのです。