ケミホタルの話(その1)

老婆(ラオポ)にとって「赤ひょうたん」はトラウマで近づこうともしません。それが士郎の母親若子が死んで5ヶ月後若子の88歳の誕生日にその若子の店「赤ひょうたん」を士郎が再開してしまったのです。2014年の春のことです。若子鎮魂と言う建前でね。これはその時の物語の一つです。

   赤ひょうたんに4人連れの客があり中洲士郎に幼友達に巡り合ったような親しみの目を向けました。店の飾り窓に白いマーカーペンで「ケミホタルの里」とあるのを見て店に入ったそうです。

「この店、もしかしてケミホタルと関係があるのですか?」何か宝物でも探り当てたかのように嬉しそうな笑顔を士郎に注ぎます。一方の士郎は隠し置いたルアー(疑似餌)の魚信に微かな笑みを漏らしました。勿論好人物らしき4人連れにその士郎の表情の変化の意味をくみ取れる筈はありません。

    全国に釣りを少しでもかじる人の数1200万人位の中で夜釣りを楽しむのは限られます。100万人位としましょう。その人達は殆どケミホタルを知っています。多分このケミホタルが世界に夜釣りを広めたのでしょう。

人間に与えられた楽しみの一つが道具を手にすることと新しい道具を工夫することです。孤独な幼児が竹笛を鳴らして野鳥と会話を始めるように誰しもそうやって道具を手にして人生が始まり短い一生を終えるのでしょうか。

アメリカ自然史博物館、ここをウロつくと人間と道具の関わりが沢山の仕掛けに物語られています。中洲士郎ニューヨークに行くと大抵一日ここで遊びます。連れの女性が博物館散策が好きだったらその人はきっといい女です。

      色んな道具の中で釣り道具は特に面白い。同じ空気中の生き物じゃなく別世界の水中の獲物の姿を想像して捕獲するのですから刺激的だし知恵がいるのです。誰よりも優れた道具が欲しくなります。だから釣り道具にはその時代の最先端技術が詰め込まれているのです。

少々値が張っても、見合う獲物が取れれば道具は直ぐに売れます。面白いことに現代でもナイフで削り出した棒一本が釣りビジネスになるので起業の一大宝庫であります。青春のひと時「一旗上げたい」と思うのは人の世の常、例えその一歩が踏み出せずともです。

中洲士郎もその一人でした。ローレライの妖精の囁き「起業しなきゃアンタ後悔するよ」に乗せられ小舟を手のひらで漕ぎ出してしまったのです。一家の命の支えである毎月の銀行振込がピタリと閉じられる恐怖の世界です。

とにかく漕ぎ出しました。

破滅の予感です!実は自分には人も金も技術もない紛れもない素寒貧でどうしようもないトンマだという認識があったのです。

神戸の港からフェリーで故郷の博多に戻る前のいい加減な独立プランの一つが釣具それも夜釣りの光の開発でした。大それた実現出来る筈のない企画、今思っても背筋が寒くなる舟出だったのです。

生まれ変わっても絶対こんな真似はしません。ああ幸いに人は生まれ変わることがないから安心です。

   そしてその恐ろしい起業の話をする機会を伺って「ケミホタルの里」という疑似餌を仕掛けていたのです。

酔客の一人が目に止めて朦朧とする脳裏に「ケミホタル」と手書きして「ケミホタルだと?」と呟きながら店に入って来る筈でした。

 だが実際に入って来たのは酔っ払いでなく40歳位の女性一人男性3人の真面目な連中でした。皆無類の釣り愛好家だったのです。そして会話が始まりました。

「ケミホタル」の話です。(続く)

漫画ケミホタル

1/9(火)さあ今年の開幕だ。
野球なら新人王で華々しくデビュー。
その後鳴かず飛ばずでいつしか忘れられた選手がいる。
そいつが突然再びフィールドに登場。
狂ったように打ち始める。
ファンが熱狂する。そしてリーグ優勝。初夢か?

東京支店のミチワキさんが漫画描いてくれた。凄いなあ。
主人公の名前は中洲士郎にして欲しい。

浪人も又楽し

大連から福岡へ戻る機内。
年の瀬いろいろ用事が多い中、由布農園と仲間たちのことが気がかり。

この前の木村琢磨さんの個展での彼の生き方に敬服した。
アーティストってああなんだなと。
繊細で濃厚な風景画の様な作風の写真家の木村氏にファンが多い。
その日も最前席にグラマラスな美女が
きゃしゃな木村氏を食べてしまいそうなほど凝視していた。

「来年一月からボク今の会社辞めてフリーになります」と木村氏。
会社やスポンサーや諸々の繋がりを切って
作品を極めて行きたいそうだ。
浪人するのに何の屈託も見えない。
現代人だなあ。それに芸術家だ。

それにひきかえ中洲士郎の生き様は内心怯えて汲々の人生だった。
子供3人の5人家族それに何かと危険な母親若子だろう。
心底ヤバイと思ったね。

ただ一つ木村さんにも質問したかったのは
「フリーになられたら作風にどんな変化が現れるでしょうか。
興味あります」と。

そこで今日は生き方に自信がない老兵が浪人について語ろう。

中洲の浅薄な経験では
浪人すると目に入る景色、
特に山野の移ろい行く風情が激しく心に迫るのだ。
早春。梅、桜、桃、梨と木々の華やぎが変化して行き
山の緑が徐々に躍動して行く姿は
サラリーマンの時は気付かなかった。
楽に給料が降って来なくなったからだろうか。

そこでまた「葉隠」の一節思い出したので引用させて貰う。

何某(なにがし)申し候は、
「浪人などと云ふは、難儀千万この上なき様に皆人思ふて、
その期(ご)には殊の外しほがれ草臥(くたぶ)るる事なり。
浪人して後は左程(さほど)にはなきものなり。
前方(まえかた)思ふたるとは違ふなり。今一度浪人したし。」と云ふ。
尤もの事なり。死の道も、平生(へいぜい)死習ふては、
心安く死ぬべき事なり。
災難は前方了簡(まえかたりょうけん)したる程にはなきものなるを、
先を量って苦しむは愚かなる事なり。
奉公人の打ち留めは浪人切腹に極まりたると、
兼(かね)て覚悟すべきなり。

案ずるよりうむがやすしって云う事らしい。
心配してノイローゼになったり落ち込んでも何もならん。
そのうち何とかなるよって事か。

だが中洲士郎生まれ変わったら絶対独立なんかしないよ。
今度は確実に失敗するから。