アイパオの話(その72)

人は皆夢を見ます。そして少しだけ動いてみます。しかし実現に向けて実行となると何がしかの常識が働いて無理を慎むものです。ところが会社のトップとなると幾多の失敗にも懲りず結局、何やかや理屈をつけて実行してしまいます。周りに溜息を残して。

そんな失敗ばかりの中洲士郎、止せばいいのに赤字続きで役員達に閉鎖を迫られた米国子会社を救済するとの名目で2023年の米国CES見本市出展をぶち上げたのが昨年夏。

そこらの見本市とは訳が違う世界最大のショーです。どうせ出展を断わられると思っていたらコロナ禍のせいか主催者からOKが出て泡を食いました。コロナワクチン接種を逃げていたので米国入国は無理で渡航を断念するしかない。だが責任は言い出しっぺの中洲にあるから矢張り行かなきゃ格好つかない。そこで無理して急速2回接種で接種証明が出たのが12月27日。馬鹿高い航空運賃で1月3日仲間達と離れて爺さんは孤独の旅に。いやあ酷かった。航空事情悪くラスベガス空港に到着したのは福岡出て50時間後でした。

オノデラ君編集。照れ臭いが敢えて掲載しますね

手ぶらで帰ろうモノなら社内の侮蔑の眼差しの中、確実に欧米での企業活動はお終いになる。「どうせルミカは零細小企業、所詮世界を狙える会社なんかじゃないってことか」となる。

それにしても現地で見る日本企業の元気のなさ、それに対して韓国ビジネスマンの活発なこと。しかしTecWest会場で俯瞰するところ目新しいもの何もない。人目を引くのは精々韓国企業の刺青プリンター位。こんなモノに入場料400ドル払って誰が見に来るものかと悲観するが他の見本市との一番の違いは来場者の殆どがCEOだと言うことです。即ちその場で決断できる相手なのです。

我がブースではiPAOを2棟建てて最長11.5mのBiRodをそびえさせて人目を引いている。初日、来客少ないのでイシバシ君には、いい男が通りかかったらブースに引っ張り込め、俺が料理するからと伝えました。しかし彼女、斜め前のブースの若者が超イケメンで気になる様子。収穫少なかった初日の終礼、皆50ドルの昼飯の不味いサンドイッチに文句付ける。その中でルミカインドネシア社長の韓国人の姜さんだけ「3日目が勝負よ!」と1人気勢を上げる。それもその筈今日は韓国からは釜山市やウルサン市の市長等大物が続々ブースにやって来ました。矢張り韓国人同士だから諸々の悩みを共有できるのでしょう。

2日目少し大きな引き合いがアイパオとアイロッドに出ました。そして3日目奇跡が起こります。ミネソタからやって来たと言うアイスフィッシング場のオーナーが奇跡の震源です。ブースのアイパオと室内で放映中のオノデラ制作札幌茨戸川ワカサギ釣りのビデオを見て(驚愕してか)呆れて大笑い。先々続く数千棟のアイパオビジネスが舞い込んだのです。数十億円ですぞ。カナダや欧州でもアイスフィッシング関係者が同様にオッファーを出します。一様に「これぞイノベーション、氷の上で何十年も凍っていたがこんな発想は遂に浮かばなかった」と。

ミネソタでのアイスフィッシング大会の様子です

勿論本件受注のお陰で皆がいっぺんに疲れを吹き飛ばし意気揚々と会場を後にしました。だが帰途の中洲士郎またしても難儀に。韓国入国の電子査証と日本入国のPCR検査不備で数十時間の一人旅でした。

さあこれで米国ルミカ再建だ。何事もやってみるもんだねえ。

そんなビジネスも面白いが矢張り男女の切ない話の方が・・・。

4年ぶりに韓国に入って永宣さんと韓食を漁色(?)しました。韓国大邱の実家で在宅勤務中のルミカ東京支店のP嬢も久しぶりに外の仕事に参加です。CESで約束したソウルの衛星都市城南市の起業家李氏を訪ねる道すがらでした。P嬢、車窓を過ぎる景色を見つめながら呟きます。

「何て偶然、ここは昔彼の街です。何度か来ましたよ。彼とは大邱でお付き合いしてて彼の転勤で遠距離交際に。次第に疎遠になって別れました」「だったら一寸だけでも電話してみたら?」「フラれたの私。私にも少しはプライドあるから電話しない!」多分彼の方も彼女を想っているだろうに。時には彼女に「どうしてる?」位声をかけてくれればいいのにね。年寄りの要らんお節介の中永宣さん運転のKIAはP嬢の昔彼の街を通り過ぎて行きました。

今日も年寄りの長い独り言に付き合って頂いて有難うございました。

アイパオの話(その71)

もう直ぐケミホタルがデビューして44年目になります。残念ながらケミホタル以降本当に画期的な新商品は開発できていないようです。

何かで読んだけど画期的新製品を定義するとすればそれはそれまでの人々の生活や習慣を一変させるもの、即ちイノベーションを起こすものだとありました。確かに身近な所ではアイフォンやアイパッドやウオークマンがそうでしょう。小ぶりですがケミホタルもそれまでの魚釣りの世界を一変させた点で確かに画期的でした。ライバルになってしまったミヤコ君のキンブレもコンサートライトに少しイノベーションを起こしました。

「夢よもう一度です。世界的ヒット商品を産みたい。それも組織開発の意表を突いて」今回はサウナパオとBBQパオでそれに挑戦しました。

10月12日からの3日間場所は千葉の幕張メッセ、ガーデン&アウトドアエキスポです。確かにサウナがブームだと言っても巷にサウナ小屋は無数にあります。果たしてそのサウナ小屋にイノベーションの余地は有るのだろうか。何か革新を阻害している要因があってそれを壊すのもひとつのイノベーションにならないか?そんな期待を込めての出展でした。

従来品の目的も形も大きくは変わらないのにもしもそれが強烈に人々の心に焼き付き直ぐにでも購入したい衝動を巻き起こすならしめたものです。

そしてその結果は?今回のサウナパオにはあのケミホタルの強烈な引きがあったのです。

あくまで結果論ですよ。長い間ログハウスは北欧やカナダのサプライヤーとその国の政策主導で市場が形成されていました。勿論そのヴェールが消費者の憧れを形成していますが開発者、挑戦者がリングに上がれませんからイノベーションが起こりません。そこに目を付けた日本のルミカが日本でログハウスキットの開発製造をおっ始めたのです。そして肝心の北欧の真っ白の高価な板材をどうやって調達するか???(開発には必ずそんな課題が生じます)

そのログハウスは12角形の筒型でその天井がオープンテラスになってるだけです。しかし誰もそんなログハウスや野外サウナ風呂をこさえたことがないし見たことがないのです。

人は「そうか。こんなサウナ小屋今まで気付かなかったな~」と思うと無性に愛着を持ってくれるようです。「自分も釣りをしていて、浮きの頭が光る単純なモノを夢想していたが・・・これがそ~だ!」とケミホタルに飛びついてくれたように。薪ストーブの薪を止めればサウナが暖かい居間に変身すると誰もが発想を膨らませました。だから直ぐにでも欲しいと。

「う~んやっぱり素人にしか考え付かんな」との声も。

商品開発は本当に面白い遊びです。

アイパオの話(その70)

とんでもない夏が終わろうとしている。

中洲起業して43年、思いつきのチャレンジに家族も会社も皆が振り回される。どう見ても愚行としかいえない「殿。ご乱心」型も多い。福島の上岡化学買収劇がその最たるもの。その致命的愚行が東日本大震災と東電補償で奇跡的リカバー。その無鉄砲起業から43年間、そろそろ終活の時を迎えての新規アイパオ事業ではさすがの中洲士郎にも「諦める」という単語が今夏の猛暑の中20棟のアイパオ施工で頭をよぎった。

売上になったのは先ず

石川県の小松市で2棟。HISの野心的なペット同伴ホテルの和風囲炉裏パオ(アイパオの話その69)

次に博多の怪人の要請で宗像のグローバルアリーナに5棟のアイパオ

グローバルアリーナ5棟のうちの1棟
同じく
同じく
同じく

更に小松で大好評に付き5棟の追加受注を受けました。

BBQだって家族とペットと一緒になって楽しんでいる。

これらに売上にならない「中洲千年夜市」や社内の試作パオが8棟もある。

中洲千年夜市で人気を博しました

だが新規事業として収益が上がる見通しは暗い。熱中症の中、算段するが年間1000棟建てても僅か10億円の売り上げしかない。それだってどうやって毎日3棟の資材を加工して現地で建てるのか。抜き差しならない状態が見えて来る。

戦争ならどう考えても勝算なき戦の太平洋戦争みたいなものだ。いかに早く撤退するかだ。

断念するにしても既に仲間が出来ている。取り敢えず来年100棟やって1億円の売り上げを上げよう。それから撤退を考えようと相棒3人で9月15日札幌に飛んだ。

ここは石狩市厚田区シップ。鹿児島を出立して30年この地で宅地開発で夢を追う園田さんと意気投合してしまった。徐々に増やして来た石狩湾を見晴らす彼の原野は100町歩に。電気水道下水をを自ら整備して別荘地分譲を行なっている。札幌の風雲児佐藤さんが永年惚れ込んだ夢追い人だ。一日彼と現地を探訪し、すすきのの「炙りや」で北の酒と肴を前に計画が躍る。

石狩湾を見晴らせる丘に電気水道下水道を備えた50坪の庭にログパオを建てて300万円で分譲するのです。来年は50棟の分譲、直ぐにモデルハウスを建てることに。

ここにアイパオをコンテナで送り込めばあとは園田さんがやってくれる

札幌の市街地から車で1時間の距離だからどの物件も転売の足が早いと。それに香港台湾中国豪州の個人客の熱い視線がある。しかし中洲の狙いは年収500万円位の若者達だ。

彼らに問いたい。「君は家族と夢を追うか?それとも、かけがえのない自然の生活を諦めてマンションの一室で年老いて涙するか?」

この危険な事業の向こうに感動が待っている。心配もある。台風でアイパオが吹き飛ばされたらどうする?

人類は木から降りて地面に住むようになってずっと家族を守る為に家と格闘して来たのに。

毎週末、石狩湾の小高い丘にセカンドハウスがあって畑を耕し鶏も飼える生活。子供達と海に沈む夕陽を眺める。台風が来る時は精一杯補強して我が家を守る。それを実現するのがアイパオプロジェクト。それを諦めるか?

万一台風で小屋が崩壊して人はiPAOを責めるだろうか?怒って直ぐに転売してしまうだろうか?

米国に進出して「リトルハウス」として売り出せば10万棟だって可能だ。売上は1000億円。テスラへの道が開けてくるかも知れない。当分悩みが続きそうです。

アイパオの話(その69)

夜思う。本当に何が幸せかって。飢える心配のないことか。「飢えたことない人には分かるものか」とも聞く。容貌がいい、頭がいい、歌がうまい、スポーツできる。そこらで秀でている人の幸せ感ってきっと奥が深いだろう。生憎中洲士郎はそのどれも持ち合わせていない。だからせめて毎日の仕事で改善と開発力だけでも比較優位でないと立場がない。

コロナ始まってもうすぐ3年、中国にも行けないので四六時中商品開発に明け暮れている。それにボケ防止のための漢文暗記だ。そろそろ身仕舞いの黄昏時になってこれがちっとも苦にならない。それどころか生まれて初めて面白くなって来た。

現在従事する開発を分野に分けると建築のアイパオ、食品のフードスプレー、健康の二酸化塩素、ロボットのアイロッド、雑貨ではエアブラシ他。その各々の分野に沢山のジャンルがくっ付く。

中でもiPAOは建築だから新規開発が無限に広がる。厄介なのはちょっと試作というわけにはいかないことだ。聞いたところでは国内に建築会社は48万社あって無数の人が従事している。誰もが開発で一発当てようと狙っている。その中でど素人の中洲一派に画期的な家の発明が出来るか? 仲間たちの猛暑との格闘を見ると「ヤバいゾ、迷路に迷い込んだんじゃないか」と時折不安が頭をもたげる。しかし仲間たちと新たな課題が解決すると又新しアイパオに挑戦したくなる毎日。

石川県小松市で旅行業のHISが新規に取り組むペット同伴グランハイド事業で2棟のロググランパオが大好評を得ている。続いて5棟に取り掛かる。先ずはその動画見て欲しい。

オノデラ氏作動画です。

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何気ない一日(その88)カジワラ君の話(その2)

中洲士郎1959年春久留米F高校入学。そして最初の事件が5月1日佐賀県基山の大興禅寺つつじ祭りの遠足で起こりました。春爛漫の中、F高校を志望した若人達は皆ウキウキとしてこれに参加したのでしょう。中洲はといえば心の中真っ暗で泣けて仕方がありません。とても遠足なんかに行く気分になれずサボる事にしました。中学時代なら必ずサボリの相棒がいて一緒に映画館なんかに行ったのでしょうが。初めての一人ぼっちのサボりでした。

大興禅寺のつつじ祭り。HPから借用

翌日のことです。突然、(確か)4名がM体育教官から呼び出しを受けました。木造のボロ校舎の裏手にです。4人はその時初めて互いを仲間と知りました。その一人が背格好良く色白の美少年でそれがカジワラ君だったのです。あとの二人は顔が思い出せずただオズオズしていた記憶しかありません。

浅黒く目つき鋭くちょび髭を付けたM教官が昨日のお祝いの遠足をサボった行為が断じて許せないと大声を出しました。先ず影絵のような2人が平手で殴られました。可哀想に「お前達は補欠入学じゃないか」との罵声まで受けて。次にカジワラ君には別の罵声と平手打ちが飛びました。次は多分顔面蒼白の中洲士郎。ヤバいぞブタれるな。と・・。M教官が少し大きめの黒い教官手帳を開いて「中洲か。君の入学の成績は優秀だった。しっかり頑張っていい大学に入れ」と。それは余りにも理不尽な処置ですので3人とも大層悔しかったでしょう。

そのあと放り残された4人、涙ながらに話し合いました。中洲がどうしてF高になったかの「モグリ入学交代劇」の悔しい話を聞かせてやりました。

カジワラ君の経緯はこんなでした。確か浮羽町からやって来たという彼は中洲と違って田舎中学の優等生で女生徒に大変もてたようです。ところが彼女達にいい格好して「な~に俺だってF高校位通れるぞ」って放言したのが災いして挑戦する事に。結果はその浮羽の中学でただ1人栄誉の合格。それで意に反して県立やめてF高に入ってしまったらしい。だがF高は男ばかり。体育部はなく好きな野球が出来ない。それで面白くなくて腐っていたと。親父は町の有力者だから「何とかしてくれるだろう」とも。相談できる親父がいる奴は羨ましいな。そこでの話でF高生なら普通高校に容易に転校できる事を初めて知りました。「だが修猷館は絶対無理だ」と確信。つまりまたあの受験勉強か?自分だけ不公平にも平手打ち受けなかったズルい喜びとも相まってF高に残留する気分に傾いて行きました。もしも平手打ちを受けていたら多分退学の腹が決まっただろうに。入試の成績よかったと言っても60番かそこら、「来年修猷に再挑戦して必ず受かるという保証もないしなあ」そうやってその後の妥協の人生が始まったのです。結局3人はF高を退学して普通高校に転校したのでしょう。再び姿を目にすることはありませんでした。

一座の同窓生達にとって感じ入る話じゃありません。しかしこの話をした後思い出が湧き出て来ました。

吹っ切れて手にしたのが岩波文庫のヘッセ等の青春文学。授業はそっちのけで耽読したので成績良いはずありません。予習して授業に熱心な他の生徒達からはぐんぐん離されて行きます。

好きな授業と言えばは唯一漢文の大石亀次郎先生の朗々と詠じる唐宋の詩賦でした。先生とは下校が何時も西鉄久留米駅まで同じバスでした。そこでは決まって「皆んな~、後方までよく整列して~」と明るい声を響かせたものです。思い出が続きます。

大石亀次郎先生。この先生に出逢えました。

そしてそのバスではアッちゃんの兄ヨージョさんと一緒になりました。小学校の時と同じく士郎にはすごく尊大で「な~んだ(修猷館じゃなくて)F高か」こちらも全員優秀なアッちゃん7兄妹の中で「(九大医学部じゃなく)久留米大学の医学部だったのですか」と返すとお互い少し気まずい空気です。ヨージョさんは勉強は苦手だったが遊びは凄かった。小4の時既に蓑笠被ってプロ釣り師の出立ちで渓流釣りに精を出していました。ある時腰に付けた魚箱のヤマメを士郎に見せてくれました。銀色の脇腹に虹がかかったそれは美しい魚で見惚れたのを覚えています。何かにつけて敬服しておりましたそのヨージョさん、今は棒術に凝っているという。彼のことだから恐らく大層な達人なのでしょう。とても無骨な男だったから女々しくアッちゃんの消息聞く勇気は遂に持てませんでした。

結局母親若子に経済的負担をかけるだけでロクに勉強せず少しばかり漢文とヘッセを読んで近場を放浪しながら3年の歳月が流れていきました。ヘッセの話とはほど遠く、士郎は美青年ではなく楽器も出来ず従って美貌の娘との出会いも皆無の3年間。はてさてあのカジワラ君のその後はどうなったのでしょう。

何気ない一日(その87)カジワラ君の話(その1)

5月30日の平日の昼間に高校の仲間の集いがあり仕事をサボって参加しました。半数の10人位は医者で皆風格がありました。場所は久留米のK医師の自宅の広い庭でのBBQです。

今日は中洲士郎の悲しい高校入学の話をさせて貰います。中洲は貧乏の母子家庭で修猷館九大以外に私立などの選択肢は有りませんでした。それが人生最初の競争に敗れてのF高校進学。

高校巣立って60年の仲間たち

そもそも親友のシオカワ君が「F校というのが久留米にあって難関らしい。試しに受けないか」との誘いに乗ったのが狂いの始まりでした。共に何なく受かったけれど公立受験日が近づくにつれて不安が頭をもたげて来ました。実は中洲、急速充電みたいな受験勉強で本当の学力はついていないのです。結局滑り止めに母親若子にF高校入学金5000円納付を頼みました。そうしたら中学の同級生合格者のうち入学金納めた3名が修猷館落とされてしまったのです。これが挫折の人生の始まりとなりました。私立なんか行けやしない。だから入学金払うのは無意味だと悟るべきだったのです。

他の2人は実家が病院で結局医者になったので賢い選択だったのかも知れません。中学の友達は中洲を残して皆修猷館に合格して歓喜の日々の中、不合格の中洲を顧みるもの誰もいません。唯一、若子の旦那が高校にかけあって「士郎は入試の合格点は取っていた」と。士郎を慰めるための優しい心遣いだったのでしょう。

落胆の登校開始の中、授業料と通学費で若子の負担が重く出直し受験にも思いが走っていました。ここは心機一転3年後の九大挑戦に頭を切り替えるべきところでしたがそれを諭す親も先輩もいません。実を言いますとアッちゃんと同じ高校に通って九大狙うのが夢だったのです。その後の風の便りでは才色兼備の彼女、男子生徒達の憧れで全校トップの男子生徒と恋仲になったとの噂、そんなのを目の当たりにしなくてよかったとも。まあそんなんでいじけた高校3年間でした。

その暗い高校生活にあって友達は皆誠実で優しく学業も中洲士郎より優秀で尊敬しておりました。その後の人生で不本意と思っていたこの高校3年間が静かで尊い日々であったことと得心する事になります。そんな思いがよぎる中、高校出て60年、戦いの日々を勝ち抜いて功なり名を遂げた筈の友人達を嬉しく眺め回していました。

社会に出てまともな道を歩かず未だに泥沼で悪戦苦闘しているそんな中洲の姿を「羨ましいな。定年がないし。国立大学医学部の教授をしていても定年迎えりゃ只の浪人。私大にポジション得るのは有力者の引きが不可欠でそりゃ忖度の辛い人生だった」とも。そして「耳にする訃報の数々。3年後平均年齢まで生きりゃ同輩の半分はこの世にお別れしてるんだ。こんなもんで人生のゲーム終了か?」とも。死ぬまで忖度しての猟官運動とは。側から見る威厳のある人生と実態はかなり違いがある。同窓という仲間意識が素顔を見せて本音をさらけての束の間の楽しいひと時です。

「誰かカジワラ君ってF高入学してすぐに辞めた生徒覚えていないかい」これも医者のM君の声が耳に入った。一様に「そんな子いなかったよな」その時中洲の脳裏に鮮やかに蘇ってきたものがある。(あの時のあの生徒、確かカジワラと言ったな)そこで「中洲が知ってるよ」と。一座の好奇心に満ちた眼差しの中でカジワラ君の話をすることになりました。

由布農園の話(その34)

今日は又あの「島らっきょう」の話です。土曜日から泊まりがけで農園で遊びました。老婆(ラオポ)は気を利かせてお留守番。

今年の島らっきょうが凄い。真っ白い足が長く伸びてライバルカヤシマ農園のずんぐり丸型を打ち負かしています。顔も平たい美人形。それに葉っぱも青々しくキリリと引き締まっております。

ご覧のように葉っぱも生き生きしてます

この島らっきょう、20年もの間色んな物語を紡いで参りました。しかしここ数年は絶不調の出来でしたが向かいのカヤシマ先生のアドバイスで今年すっかり景色を変えた話です。

先生いわく畑の近くに生えているカヤ(ススキ)を刈り取って小さく切って土にすき込むとカヤに付着した地場の細菌や酵素が土を生まれ変わらせる。しかもそのカヤは畑近くのに限ると。カヤこそは畑の厄介者、何の取り柄もない雑草なのにです。

これを聞いた農園の相棒のニイザワさん、昨春しっかり枯らしたカヤを只で手に入れた細砕機を修理再生しカヤをサイジングして漉き込んでいました。確かに例年とは育ちが違います。空気をいっぱい吸い込んだ土に島らっきょうがしっかり根を張っております。一体全体自然界はどういう仕組みになっているのでしょう。

型がよく揃っています。

縄文の時代から日本人は何事でも研究熱心で仕事大好き民族だったのだと畑の中で実感しました。若者たちがアイパオで田園生活を楽しんで子供をたくさん作ればきっと日本は世界の憧れになりますね。

根を切って薄皮剥ぐとこんなに綺麗です

さて夕食を終えて。毎年の恒例、島らっきょう酢漬け作業での老婆(ラオポ)との一悶着です。何しろ敵はこと食材の加工では天才です。秘伝の引き出しを沢山持っているので平身低頭でお願いするだけ。拒否権発動されるのが心配で文句言えません。一夜明けて今朝瓶の中で揺蕩う美形を試食してオズオズ尋ねました。「あのう少しパンチが足りないようですが」に思案数秒「あっ。そうだ湯通しする前に塩をまぶしておくのを忘れてた」と。敵もやはり年か。畑には島らっきょうが未だ沢山あります。絶品酢漬け沢山こさえて配らなくてはいけません。

酢漬けの完成です。どうです。失敗作ですが美味しそうでしょう。

アイパオの話(その68)

夢を追う

ずっと昔安サラリーマンのあの頃。週末は4ナンバーのライトバンに家族5人で柴犬の「マット」を連れて旅に出たものだ。財布が乏しいので宿泊は狭い車の中。それでも楽しかった。いつも思ったのは「郊外の農園に家族で楽しめる小さな住まいがあるとどんなに良いだろう」って。

仕事で何度かフィンランドに行く。夏のヘルシンキ。週末になるとサラリーマンは一斉にマイカーで北を目指す(社長は残って仕事)。誰もが森の中、湖のほとりにサウナ付きの小屋を持っていてウキウキ飛び込むのです。白夜でした。男が小屋の屋根に座ってピンクに染まる湖面を見入っています。日本にもそんな生活あれば良いな。だけど日本のその景色に建つ家は想像できないがきっと素敵な小屋に違いない。

夢が形に

由布岳の麓、塚原の里にドーム小屋を作り始めていつの間にか15年経ってしまった。東日本と熊本大震災の復旧に馳せ参じたものの結果得られず。3年前、中国北京での防災展で新型アイパオ(PVCの骨組にポリカーボのパネルを装った)がデビュー、話題となって中国国営CNNテレビにも出演したが・・・。未だ売れる代物じゃない。2021年瀬戸内国立公園赤穂市の海辺に2棟のアイパオが立ち上がってようやく事業の産声が上がる。これにフィンランドから取り寄せたログ材を組み込んで初めて夢の正体を見つけました。

形をビジネスに

いい女性に出逢うと男は誰しも胸が熱くなるもの。だが爽やかな好男子それも静かで渋い笑顔の実業家となると男でも胸がドキドキする。そんな男がいた。故宗政伸一サニックス創業者が遺した宗像市のグローバルアリーナに彼はいた。彼に呼ばれてアリーナに沢山のアイパオを建てる説明を受ける。何とその費用は全てあの博多の怪人がポケットマネーで払うと言う。アリーナからの帰途その怪人からのメール。

「決して値引きするんじゃない、その代わりに良い仕事をしろ」と。企業家たちは凄い。中洲士郎未だ黙鶏たりえずせわしき事チャボの如し。

コムロデザインのThe Smoker。喫煙者天国の小型アイパオ。「喫煙者肩身が狭いからねえ」と。
アリーナに出現するかもしれません。

皆さまどうぞアイパオのデビュー応援してやって下さい。

二酸化塩素ストア頑張ってます。少しだけ世間のお役に立っているようです。

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アイパオの話(その66)

皆さん。コロナ騒ぎが始まってからこの2年あまりずっと挑戦と挫折の繰り返しで遂にどうしようもない閉塞感に囚われております。会社の状況も大変です。

なにぶん会社の事業はアミューズメント主体でしたから仲間からは「中洲もコロナで今度ばかりはもうダメだろう」と楽しく観測されてました。が、どっこい10年前から手がけた空間除菌がヒットして気勢を上げてましたら好事魔多し、国のいわれなき締め付けで売上がなくなってしまったのです。そしてこのコロナ禍に親しい飲み屋さん同様深い痛手を受けております。

打倒コロナを旗印に二酸化塩素ソリューションを開発して軸足を空間除菌からコロナ治癒に移しておりますが、これだって治癒効果が出れば出たでお咎め出るのは間違いありません。3年目もコロナの終息なければ会社は大赤字になって経営責任が果たせなくなるのです。日本中の中小企業や個人商店の経営も同じです。さあたいへんで~す。

この稚拙なブログに友を誘うのは無い知恵を絞って課題を解きどんな苦境をも乗り越える私生児魂の生き様を実況中継する事です。ケミホタル開発者の意地にかけてもコロナにヤラれる訳には行かんのです。そこで思案いたしました。例によって布団の中で。

このまま日本は産業振るわず、給与上がらず、消費増えず、海外からの来客も途絶えて奈落の底へ沈んで行くのでしょうか。じゃあそんな時代の中で何を開発したら消費者に夢をもたらすのか思案しておりました。

2/17から今年第4回目の札幌パオ作戦。ワカサギ釣り小屋の陸上移動作業中も思案してました。そんな時農場主のフジイさんに声を掛けられて彼の運転のジープで引き回されたのです。パオ浮上と移動作業が忙しくて少し迷惑でした。記録破りの大雪の札幌丘珠空港の周りを1時間ほどドライブです。

「あそこもここも」彼の所有地でした。「跡取りもいないのにどうして資産を増やすのですか?無駄じゃないのですか?」の質問から巨大な怪物が頭をもたげたのです。中洲人生最大の獲物です。

丘珠空港周辺の農地は至る所フジイさんの所有です。

日本では一般人の農地取得は大変難しい、何より「農地転用は絶対認めない」が国の基本方針です。老婆(ラオポ)が怒りますが敢えて百姓という言葉を使わせてもらいますと、百姓は百姓にしか農地を売れない。形だけでも農業やれば補助金出るが耕作を放置するとお上のお咎めを受ける。それで年老いて農業の後継いなければ安くても引き受けてくれる百姓に買ってもらうしかない。その結果フジイさんに農地が集まる。農耕しても採算取れないので麦を撒いて放っておく。

ところが道路沿いの農地は一等地。違法だがお役人に目こぼししてもらってガレージや倉庫の汚い街路が出来ている。札幌北60条なら坪20万円はする。その市街地に隣接した農地なら坪2~3000円なのです。豪雪に埋もれた農地に復興の鍵があります。夢中でシャッターを切りました。

昔計算したけど日本の国土を人口で割れば1人300坪割り当てられます。もっともっと農業ができるのです。しかも広大な農地が農耕放棄されて荒地になっております。皆さん興奮しませんか?日本は農政官僚たちのお陰でとんでもない宝物が野に埋もれているのですぞ。それだけじゃありません。除草剤や農薬の単位使用量は日本が世界一。可愛いドジョウなどいやしません。若者が入植して3年もすれば農地は虫やカエルや鳥で賑やかに一変します。

100から200坪を一区画農園として今度開発したログパオを建てて分譲します。住める小屋付で200万円で売り出すのです(どうせお上が小屋に住んではならぬと難癖付けるでしょうがそんな法律ありません)。サラリーマンが百姓になってはいけないという法律もないはずです。ドイツの農地のように小さな区画に色とりどりの小屋が建ち並び老夫婦が日光を浴びて健康に、若い夫婦は良い野菜を作って売って副収入を得て坪20万円の土地を横切ってサラリーマン出社です。鶏も飼えます。子供と一緒に働くのです。昔の日本のように。勿論お金に余裕あればセカンドハウスです。次世代のグランピングですね。

今度完成した写真のログパオが99万円、フジイさんとの共同事業は後回しにして先ず由布農園で試します。どうぞ見学に来て下さいね。その様子を連載しますからこの中洲士郎ブログご愛読願います。ソリューションも買ってください。リンク貼っておきます。

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裸のウイルス(その30)

皆さま。どうぞ子供達をいい加減にマスクから解放してあげましょうよ。今の子供達の姿は無能な大人達を映す鏡であります。冷静に分析し対処すればコロナは終息させれる筈です。

先ずコロナワクチンが当初の期待通りには免疫効果が無かった事実を公に認めましょう。批判を恐れる関係者は免疫予防からコッソリと罹患者の治療に軸足を移すようですね。しかし悲しいかな現状では有効な治療薬が無いのかイベルメクチン等を意図的に隠蔽しているようです。だったら日本国内の英智を集めて開発競争し厚労省がフェアーに薬効を検証すれば日本が世界に貢献し疲弊した産業の再浮上にもなりましょう。ところが効かないワクチンに懲りずに今度もファイザー社達ワクチン屋だけの飲み薬を治験なしに特例承認するのです。ファイザー社の2021年ワクチン売上は4.2兆円22年は飲み薬も入るので6.2兆円大半が利益です。またまた税金の無駄遣い。それを怒る日本人も少ない。もう俺は知~らない。

単に濃い目の水道水に過ぎない10ppm位のソリューションを飲むのが打倒コロナには一番適してていると信じますが薬事法に通っていない以上それを勧めるのはルール違反です。だったら少し濃いめの、そう100ppm位のソリューションで1時間おきに口をすすげば身体のウイルスの大半は除去されて熱も下がりウイルスも口から飛散せず家庭内感染もなく治るでしょう。

例えば500mlのペットボトル水道水にソリューション100の目盛で15cc注ぎ携帯して1日1本口をすすぐだけです。(薬事法通っていないものは服用とかウガイとかの表記は禁じられているのでこんな小さな中洲ブログでもやられます。それだけでなく世のウズウズ虫に中洲は揚げ足取られるのです。これが一番悲しい)

実際40度の高熱で震えていた仲間のカズキ君がソリューション飲んでウイルスの増殖が止まるや直ぐに熱も下がりました。と言えば間髪を入れずに「それでソリューションで治ったとの証拠はあるのか?」の声。後生だからそんなこと言わずに「よ~し俺の大事なおっ母さん楽にさせたいからマウスウオッシュ試すが効かなかったら覚えとけよ」で勘弁して欲しい。皆様のおそばの大切な人が一人でも治ってくれればいい。中洲がコロナに罹れば直ぐに自分で治すのですが毎日朝晩2回飲んでるので生憎罹患しない。例え罹ってソリューションで治しても口に出せません。「世間を惑わす糞ったれ老人メ」とバッシング受けるだけですから。

名古屋の老内科医先生がコロナに罹患した患者さんに了解を得てうがいのテストしてもらう事になりました。うがいした後再度PCR検査して陰転具合を調べるのです。今井博士の研究仲間だけあって本当に仁徳の厚い先生です。先生の治験の結果を偽りなくご報告しますので皆様のご協力お願いします。イソジンなどの市販のうがい薬との比較も大切だと思います。

350cc容量のタンブラーにソリューションをキャップ2杯7ccを注げば60ppmとなってウガイに最適です。    クチュクチュぺセットと名付けました。

中洲士郎が手がけたのはケミホタル、Xチェッカー、洗剤チェッカー、大閃光、アイロッド、アイパオ、二酸化塩素、フードスプレー等等。共通するのは皆揃ってお上の眼を盗むノンカテゴリー商品をばかり。

中洲士郎までも非嫡出児で正規のカテゴリーに入っておりません。中学生の時、英語で私生児の事をバスタードと知りました。密かにBastard Spiritsを胸に刻んだ記憶がコロナで蘇ります。考査の成績が学年トップのあっちゃんに並んで中洲の名前が廊下に張り出されるほど凄かったらそのスピリッツも意味持ちましたが。上手くいかんもんです人生は。

ストアへのリンク貼り付けます。是非覗いてやって下さい。

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