アイパオの話(その12)

「中洲流遊説術」なるものの話を聞いてください。中国語の単語に「老婆」と「老公」があります。ラオポーとラオコンと発音します。永く連れ添った二人が「ねえあんた」「なあおまえ」と呼び合う言葉でしょう。この親しい呼び掛けも語尾が下がるとヤバくなります。

「ねえあんた   今年は30万円づつ3回預金が下ろされてるけど一体何があったのよ。」

「・・・・」

「ウ~ン。チョットだけ人助けでねえ・・・」

我が老婆も知っている相手だ。由布院で亭主に先立たれ残されたちっぽけな食堂で命を繋いでいる老婦を援助しているうちに夜逃げされて焦げ付いた金です。

「大概にしなさいよ。あんたは人を見る目がないんだから。何よ他人にばっかいい顔して」とまあこう言うのはウチのラオポーだけじゃありません。

しかしこういう時に

「そ~かあ。まあ仕方ないよ。あんたには人を見る目が無いから私と一緒になったんだよね」とでもジョークが出れば男は痺れてもっと恐怖を覚えますが。

だが男の場合は修羅場でジョークの一つが出るか出ないかで値打ちが変わるのです。中国古代史でも一番面白い下りが「我が舌を見よ、まだ有りや否や」でしょう。

史記(十八史略にも)に司馬遷が語るのが戦国時代の遊説家張儀の話です。魏の人、張儀が南方の楚国に遊説に出かけて酷い目にあわされました。大怪我を負って帰宅した時かみさんが張儀を怒って「おとなしく百姓しとけばいいものを柄にもない遊説などしおって」とか何とか言って亭主をなじります。とその亭主張儀がぺろッと舌を出して言うセリフが「我が舌を見よ・・」です。そして又遊説に出て連衡策即ち楚斉燕韓魏趙の六国を秦に仕えさせて秦の覇権を成立させるのです。2000年以上も前の夫婦の話面白いですね。

しかしウチのラオポーは張儀の嫁はんよりも更に凄いようです。茨城での作戦中に諜報員を送り込んで来たのです。策略家中洲もこれには驚きました。4月15日の夕刻でした。老婆(ラオポ)の従兄弟の営造が何年振りでしょう突然電話を寄越して「自分は今被災地救援に来とるが伯父さん今何処だ」と聞く。そしてわざわざ茨城までやって来て我が一夜城のパオを見おったのです。そして「こりゃ凄い」と抜かす。

17日着替えを取りに帰宅した亭主に老婆優しそうに笑いかけて「お前さん被災地でトイレ作ってんだってね。営造から聞いたよ」これは油断がならぬ。そして更に続けて「それで16日は何処に泊まっとった?」

アクセスの速さとITの進歩で世のラオコンにはラオポーから隠れる場所が無くなってしまいますね。