ケミホタルの話(その8)

夢は夢としても先ず食っていかなければいけません。窯暮れでは到底家族は養えない。こうなることは分かっていましたが寄り道しました。労働者は辛いが、かと言って今更技能士や芸術家の道を模索するのは大学に戻るに等しく難しい。何しろ大学で何も学ばなかったのですから。

確実にやるべきことは先ず日銭を稼ぐこと。何しろ家族が居るのです。そして手持ちの金はどんどん消えて行っております。失業保険ももうすぐ打ち止め。今更就活など出来はしない。

自分の発明カード等鼻から信用していないし自分がトンマであることを確信しています。中洲士郎のDNAにはそのことが書き込まれており生まれた時から生き延びる選択をさせられました。それは自ら選ぶよりも本能的な選択でした。

そしてこれこそ運良く今生き永らえている生物に共通していることでしょう。何をするか何を避けるか判断するのに我々は時に大胆に時に臆病でなくちゃいけません。

「握り飯を売る」それは中洲士郎の確実で賢明な選択でした。

ケミホタルの事業化は博打だから握り飯という保険がいると考えました。小石原から戻ると中洲若子の「赤ひょうたん」の半坪のタバコ売場が士郎の持場です。旬の食材を用いた炊込みご飯3升に最高の味を出したので普段は30分で売り切れました。ヤクザが外車に女を乗せて買いに来ることもありました。この仕事は肉体労働より楽だし改めて勉強する必要もありません。

だが雨が降れば惨めで一個も売れず近所のホステスに只で配ります。家に持ち帰れば子供達が「又一週間、味ご飯の焼き飯か!」と嘆きます。

当時まだほっかほっか亭は出現していませんでした。良い米の炊きたてご飯に起業の可能性の匂いがありました。しかしお天気商売で結局その日暮らしから抜け出せないでしょう。従って飲食業も中洲士郎の選択には残りませんでした。

やはりケミホタルしかないのです。

そのケミホタルの主導権は有田の栗本の手に移っていました。夢を見るようになりました。前の会社に戻って机にしがみついている自分の惨めな姿を。そこには何時も前の会社の社長はじめ同僚達の侮蔑の目があったのです。

余談ですが第1話「ケミホタルの話」でケミホタルの発明者は誰か?を明かします。そして起業してから降りかかった13回の危機克服秘策を次々に明かして参ります。

その中で第10番目に東日本大震災遭遇がありました。

3月11日福島の久之浜で巨大津波を目撃し避難民生活の後ヒッチハイクで福岡に戻ってテレビを観ました。

東電社長の出演に思わず「ダメだ直ぐに福島原発に向かえ!突入しろ!世界中がお前を見ているぞ」と虚しく呼びかけました。

彼の学業秀才のDNAには想定外での処方が書き込まれていないようです。そして取り返しのつかない愚か者の烙印が押されてしまいました。

危機に直面したら一瞬にしてその利用法を模索すべきと思うのです。商品開発そのものです。大震災からだって起業のネタを探そうと中洲士郎は久之浜中学の体育館で夜中パオ事業を思いつき画策しました。

中洲士郎は取るに足らない人生と降りかかる危機の滑稽譚をこのブログに記そうとしています。いつか誰か一人の目に止まって相づち打ってくれるのを期待します。それは曾孫かも知れません。

嫡出子と非嫡出子に何の違いはなくスティーブ・ジョブスと中洲士郎だって同じこと。人間死ぬまでどう演じるかだと思います。悲しいが一兆掛ける一兆ものDNAの組み合わせに人智は及びません。そこには生き延びる術が書き込まれているので、DNAのささやきに素直に従って今を生き延びること、そうでなければ東電社長のように即ゲーム終了もあるのでいい格好などしちゃいけないと思うのです。