裸のウイルス(その13)

売上のない事務所で事務員のO嬢と所長のAがお喋りで明け暮れる中、獲物を求めて歩き回る中洲の日々が2人には遊び歩いているとでも映るのか冷ややかな視線です。

代理店という稼業は利権と制約の網目で最小のリスクで効率よく儲ける仕事。自分がいなくても、この会社が世に存在しなくても、世間は何も困らない。代替えは幾らでもいると感じる虚しさ。矢張り物作りの道を選ぶべき、少なくとも製品開発だけには携わらないと生きる意味がないと。「しかし選択を誤った。もう遅いのか?」使う当てもない英会話の独習に明け暮れる日々。

それにしても不思議ですねえ。人生には摩訶不思議なことがあって「どうしてあの時あんな選択をしたのだろう」って後々考えることがしばしばありますよね。我がF社選択もそうでした。たまたまIBM創始者トーマスJワトソンの伝記を前日に読んで突然鉄工所選択を変えたのでした。それってきっとDNAの囁きじゃないでしょうか。

そんなある日突然建設省北九州道路工事事務所に足が向きました。所内を勝手にうろつくうちに・・・。ふと1人の男の机の上の図面にあのラバートップジョイントを目にしたのです。思わず「このジョイント知ってますよ」「丁度良かった扱い業者が分からず困っていたよ」と。

それからとんとん拍子に彼、新井元之助の九州代理店になり今度は伸縮継手も扱い商品に加えての営業です。そして新井元之助の天才的なセールステクニックを目の当たりにすることになりました。

新井元之助は役者の様に爽やかにスーツを着こなしております。顔つきも別人です。役所で静かに佇むだけで粗末には扱えない空気を作っております。普段は業者を見下し話も聞かずに相手が退出すれば机の名刺をザーッとゴミ箱に捨てる土木技官達です。

新井元之助厚かましくも1人を相手のセールスじゃ効率悪いとばかり慇懃に10人ほど関係者を集めさせてから伸縮継手の問題を聞かせ始めます。次第に大会社横浜ゴムのジョイントの悪口。何故それが壊れやすいか専門用語を交えて説明します。勿論自分がそれを売っていたなどはおクビにも出さず。

そしてやおらアタッシュケースを開くとそこに磨き抜かれた新製品の実物見本。上物のクロスを汚い机に敷くと勿体ぶってその上に黒く輝く見本を置きました。技官等皆、暗示に掛かっています。それはただのアンカーボルトが突き出た鉄板に加硫接着されたゴムの塊に過ぎない代物です。それを触って褒めそやし価格を聞いて「そりゃ安い」と驚愕するのです。どうしてメートル42000円が安いのだ?