アイロッドの話(その2)

息子が父親の高級一眼レフを見て「父さん。こんな高性能機どうせ使えないだろう」と言ってソニーデジカメと交換させられました。

ー実際一眼レフと言う奴は図体が大きく重いしボタンが一杯あって操作を覚えれません。だいたい日本の精密製品は高価で装備過剰ですねえ。デジカメも高級化して丁度WiFiが装備され始めていました。実は中洲はかなりメカオンチでサッパリ転送の意味が分からずに弄りました。「えっ!スマホでカメラが遠隔操作できるんだ。これだっ!雪庇1号に取り付けよう」名前もBiRod (Birds eye Rod)として売り出すことに。

7~8メートル上空から写真を撮るとかなり驚きです。じゃあ誰よりも先に名作をモノにしようと青森の弘前城の桜を撮ることにしました。2014年の春です。老婆(ラオポー)に「どうだ。あの有名な弘前城の桜を観に連れて行ってやろう」と誘い出しました。

何しろ長大竿を支えての花見、いやでも観光客の目をひきます。小道具入れもあるしタブレットでの操作もあって慣れなきゃ独りじゃ無理です。

我ながら惚れ惚れの傑作写真が沢山撮れました。三脚が付いてますので少し離れてスマホを見ながら自然な人物像を撮るのにも便利です。もちろん傑作は人が上空を見上げて口を開けている写真ですね。この弘前行でアイロッドの市場を確信しました。

東京駅でラオポーと別れます。一緒は面倒だし支店に用事もあるのでね。ところが別れ際「ありがとう。桜見に連れて行ってくれて」と小遣いをそれも10万円もくれましてね。完全にこちらの魂胆が見透かされておりました。

誰か銅像を見上げておりますね。

お陰でBiRodは年間2000本ほど売れてジンユイさんの友達の工場は喜んでいます。残念ながら雪庇1号は合計500本ほどで売れなくなってしまいました。だけど別れたあの佐々山親父の発明力は評価しなければなりません。

世の中自分の手が届かない所に誰しも不便を覚えます。脚立も危ない。水の中なら殆どお手上げ。僅かの物好きが物干し竿にカメラやハサミを括り付けて頑張りました。そこで「軽くて便利な長い道具を作れば!」これが発想ですね。「そうだ釣竿がある」これが着想。あの小娘の親爺は立派です。ここまで来たのですから。これからが構想企画設計製造そして新たな市場開発となるのですが。少なくともクランプを取り付けた継竿まで進んでいれば発明者としてBiRodもこの親爺にプレゼントしたのですけど。雪庇1号の事業化にも執拗さが不可欠だと思います。何より目標を共有する仲間が大切ですね。